2017年7月15日土曜日

読後感「ハル回顧録」コーデル・ハル著
宮地健次郎訳

大東亜戦争開戦当時アメリカの国務長官で、日本に最後通牒に等しい<ハル・ノート>を突き付けた人物として知られている人物の回顧録。氏の生涯は1871年~1955年であるが、内容的にはフランクリンルーズベルト大統領の下での国務長官時代1933年からの12年間に限られているとも言える。氏は元々民主党系の上院議員で、ルーズベルト大統領から国務長官に任命された時は既に62歳、大統領より11歳も年上でもある。

時は第一次世界大戦の終結から15年後、日本で言えば昭和8年、1929年末からの世界大恐慌の影響が残る一方、世界的に植民地競争も激しさを増し、再び世界がきな臭くなり始めた時である。ドイツではナチスの1党独裁が始り、日本が国際連盟を脱退した年でもある。アメリカ大統領は経済的課題のニューディール政策推進に多忙だったろうし、国際政治的にはモンロー主義と言われるアメリカ孤立主義が幅を利かしていた時代である。

こんな国内環境の中で、日本で言えば外務大臣に当たる職位を第2次世界大戦終了まで続けたことになるが、結局は10歳以上も若い大統領を補佐しながら、日独伊の枢軸国(ファッシズム?)連合に対し終戦直後に国際連合として正式に発足する(民主国家?)の連合を築き上げた立役者でもあるので、内容的には非常に興味深いものがあった。先ず、如何に政治体制に違いがあるとはいえ、現代日本の政治家と比べると、働きぶりに格段の違いがある。極端に言うなら、国務長官は12年間1日1時も休まず働いたようだ。(大統領も同じだと思うが、大統領は終戦の直前に亡くなってしまった)

地球の裏側とは12時間の時差があるが、世界大戦中はその隅々までアンテナを張り巡らせて耳目をそばだてて居なくてはならぬだから、当たり前と言えばそれまでだろう。連合国間の調整だけでも大変だが、更に大統領府内、或いは国務省内でさえ意見の違いは往々にして発生する。国務長官に与えられている権限は大きいが、最終判断は全て大統領に委ねる形となり、大統領の判断が出れば完全に従うことになる。しかし著者は在任中一度も気まずい思いをしたことが無かったと冒頭に書いている。

歴史的な観点からすると興味深いことが幾つかあった。第一はこの時代からアメリカの諜報能力が決定的に日本と比較にならぬほど進んでいたこと。1例を挙げれば、日本が開戦に当たり真珠湾を攻撃することは、昭和16年の初めにペルー大使を通じて報告がされていたこと。日本では、外務省の手違いで国交断絶通知が30分遅れたことが、真珠湾攻撃の卑劣さを宣伝する材料になってしまった、とされている。しかし、このことも彼等からすれば全て計算ずくだった可能性がありそうだ。

何れにせよ、対戦国側からの視点なので教えられることの多い書物だった。


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