2018年10月19日金曜日

改憲論議で思う

憲法を最も遵守しなければならない総理大臣が、憲法を変えるべきだと旗を振っている。憲法には、変更当然あるべしとして規定まであるのだから、変えること自体はとやかく言うべきではない。しかし総理が旗を振ることは大いなる矛盾であるのは間違いないだろう。何度も書いているように憲法そのものをよく知らないのだから改憲すべきかどうか意見を言う資格はないが、改憲論を強調する人の中にある押し付け憲法論には強く異を唱えたい。

日本国憲法が連合国占領時代、我が国がマッカーサー司令部の司令下にあった時代にその監督下で定められたことは幾らなんでも知っている。悪口を言う向きは、日本側が提出した案に業を煮やしたマッカーサーが何とかいう女性に命じて1週間で原案を作成させたとか、英語の直訳だから日本語としてなっていないなんて言われているのも聞いたことがある。しかし、これが制定されるためには当然ながら国会の審議を経ているだろうし、その議事録もあることだろう。

当然ながら終戦直後の1946年~1946年のことだから、数年後に改憲論を強調し始めた岸信介氏なんて人は戦犯として獄中にあって関与はしていない。当然と言えば当然で、岸氏は戦前から戦中にかけてバリバリの官僚で日本全体を統制していた張本人。絞首刑にならず釈放された方が不思議なくらいだ。総理大臣一家の悪口は程々にして、指摘したいのは当時の政治家の資質である。どんな議事が行われたか詳しくは無いが、芦田修正によって9条が押し付けではなく、日本の積極的意思表明に書き換えられたことは知っている。

確かに草案作成がマッカーサー司令部に相当せかされたようでもあり、さもなければ天皇を戦犯で引っ張るぞとの脅迫もあったようだが、当時の政治家の知的水準と占領軍との交渉能力は、現代のそれと格段の相違があるように思う。特に石原慎太郎氏がケチをつけている日本語の表現であるが、憲法を口語化するについては国語学者の安藤正次博士や作家の山本有三氏まで動員しているのだ。少なくとも石原氏よりは益しだろう。

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