2019年7月10日水曜日

つかの間の晴れ

人間誰でもそうらしいが、心のうちに真面目な自分と不真面目な自分を併せ持つらしい。教えてくれたのは中国の文学者で周作人という人物。全くその通りだと思う。その両方を時により、或いは相手によって使い分けて楽しむことが出来ればいいが、相手をしてくれる人間が居なくなるとそれもなかなか叶わない。自分の心をお手玉のように弄んでみたところで栓も無い。兎に角独居とは侘しいものだ。

もちろん私もそうだったが周作人なんて人を知る人は極めて少ないと思う。知ったところでどうということは無いだろうが、序に知ったかぶりをして、魯迅の弟で、兄の後を追って日本に留学したことを書き添える。この周作人先生が面白い歌を詠んでいる。昨日は「腹が立つ」と不穏当のことを書いてしまったので、その埋め合わせに一部を紹介する。「可笑老翁垂八十 行為端的似童痴 劇憐独脚思山父 幻作青畳羨野狸」(変換が出来ない漢字を畳に変更)

読み下すと「笑うべし老翁八十になんなんとして、行為まことに童痴に似たり 甚だいとおしみて独脚の案山子を思い 畳に化ける狸を羨む」高校時代に<わたひゃ>とあだ名された漢文の先生から落第点を付けられたものだが、この読み下し文を読むと、自分のことを言われているようで何となく笑えてくる。確かにここまで来ると、子供同然になるのも已むをえまい。

久し振りに午前中から晴れていたので、昼飯を有楽町まで足を延ばし、序に東京→大手町→皇居経由桜田門といつも異なる場所を歩いて少しさっぱりもした。
不思議に思ったのが、久しぶりに入ったステーキ屋のランチメニュ―、単価が随分下がっていた。もちろん組み合わせで従来以上の料金になるが、サイドについていたデザートなんかが外されて、従来無かった単価千円以下のメニューが増えている。これはいったい何を意味するのだろう?

実質所得が減り、誰にも節約したい気持ちが出るのは当たり前だろうが、経済学者の見解を聞いてみたい気がした。

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