2014年12月21日日曜日

侘しい年の瀬

昨日昼に首都圏在住の高校同期生有志9人で簡単な忘年会。小生も勿論だが飲み放題の店なのに誰も酒量が上がらない。別に昼酒だからと言う訳でもない。全員が夜の会合よりむしろ昼の方が有りがたい口だ。話題の大部分が病気自慢であるのもやむを得ないだろう。前立腺癌初心者の小生にとっては、経験者からとても参考になる話を沢山聞くことが出来た。

パナマに20年以上も駐在していた人や商社マンが居たりするので、オバマの対キューバ外交政策転換から中南米への影響、ひいては世界情勢が大きく変わっていくだろうと言った高い次元のことまで話題が発展したりして、楽しいランチだった。

今日は今日とて、隣の洋食屋で昼飯をしていると、親爺さんが「向かいの風呂屋の親爺が死んだのを知っているかい?」とのこと。我が事務所は風呂屋の裏にあるのだが、地主大家は件の風呂屋で、内儀さんには普段からお菓子やドリンクの差し入れなどを頂き何かとお世話になっている。そう言われてみれば、先週シャッターに「暫く休業します」と張り紙が出ていたのは知っていたが、ご主人の不幸とは気が付かなった。

更に、3軒隣の寿司屋の内儀さんも数日前に亡くなったのだそうだ。どちらも近所にも知らせず密かに葬儀を済ませたものらしい。寿司屋の方は兎も角、風呂屋は少なくとも大家さんで、こちらは店子である。普通に考えれば、線香の1本くらいは上げるべきだろう。こちらの怠慢からではなく、施主様の方でそれを拒否している訳だ。それが当たり前になってくると、日本の社会構造の根本が相当変わってきてしまうだろう。

数日前にも書いたように、今年は知り合いの訃報に接することが多かった。ただでさえうすら侘しい年の瀬に、人情と生活の合理性の狭間の問題かもしれぬが、一層心寒い感じが否めない。

0 件のコメント: