2014年12月11日木曜日

老人惚け礼賛

お葬式が多くてお経を聞く機会が多かったせいか、高倉健氏の影響か、最近よく思うのは諸行無常とか色即是空といった言葉である。昨日も病院にって半日もぼーっと待っている間、周りに大勢いる似たようなお年寄りを見ながら思った。それぞれ異なる様々な道を歩んできた人たちだろうが、この病院の待合室に来てしまえば大差は無いものだ。大部分の人が長時間待たされることにイライラしているだけだ。イライラの度合いは何となく裕福そうな人の方が酷く感じられる。

こちらは暇だから何時間待たされようと大して気にならない。何より病院は暖かくて、先ず病院に居る間は自宅の電気代の節約になる。読書でもいいし、人間観察していても結構面白い。最近は通い慣れてきたので、窓口に断って病院外に見つけた旨くて安い昼飯屋に行くことも覚えた。あの苛ついている老紳士は、本日為すべき用件が他に沢山おありなのだろう。しかしあと何年何日この世に居られると思っているのだろうか。なんて思って密かに面白がっている訳である。

年を取ると、冒頭の経文ではないが、一般的にはあきらめの境地に達してあまり苛つかなくなるものかとも思うが、個人差があってそうならない人が居ても不思議ではない。昨日はたまたまそういった人に出くわしただけのことだろう。
何も最近のことではないかもしれぬが、毎日のことが記憶に残り難い。朝めしを食ったことは記憶していても、昨日の朝飯のおかずになるともう思い出せない。こんなことは憶える必要もないからどうでもいい。高齢者には記憶すべきことなど殆ど無いのだ。

そんな不心得のせいだろう、しっかり覚えておかなくてはならぬことをいとも簡単に忘れるのは問題である。昼間はそれでもメモ帳を持ち歩いたり、手近にカレンダーを置いたりしているので、どこかにメモることが可能だが、自宅に帰って風呂にでも入ると、さっぱりと何もかにも忘れてしまう癖がついてしまったのか。たまに家人から到来物の礼を言ってくれとか、誰それに電話してなんて話を聞いて、翌日はすっかり忘れているケースが多くなった。メモせずに記憶だけに頼ろうとするからである。夕方近くになって思い出したりしているうちはいいが、今後は注意を要するだろう。

もの忘れは注意が必要だが、最近妙に諦めがよくなっている。世の中ままにならぬことばかり頻発するが、こっちも一晩で忘れてしまえば翌朝は爽やかである道理だ。お腹も脳みそも常に空っぽにしておくことが、高齢者の健康には有効かもしれない。

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