読後感「内訟録―細川護熙総理大臣日記 」細川 護煕 著

著者が総理大臣であった1993年8月から翌94年4月迄の日記を纏め、関係者の証言などを挿入して編集されたものである。今年の5月に出版された。

当時余り政治に関心が無かったので、細川護煕については別に好きでも嫌いでもないが、所詮はお殿さまで身勝手な人、くらいの印象である。しかし親の反対と家訓に背いて政治を志し、総理大臣に迄登りつめたのだから、それなりの資質と才能は評価すべきだろう。本書を読んで感じたのは、日本のセレブとして身につけた教養の深さだ。学歴は上智大の出身でゴルフ部のキャプテンだから、通信簿や受験戦争向きの学力は大した事が無いだろうが、上流社会ならではの教養が文章ににじみ出ている。

総理大臣の責務よりも、身に備えたその教養に裏付けられた美学をもって、僅か8ヶ月でも総理総裁になった事を後世に伝え、ご先祖と肩を並べたい気持ちがありありだ。こうやって下らないブログを世間にさらして自己満足している何処かの馬鹿と相通じるところがある。心理の根底では通ずるところ無きにしもだろうが、日本の政治史に残した足跡は大きい。何と言っても半世紀近くに亘った自民党政権を初めて倒したのだから。現在と同じで当時もマスコミによる世論調査があり、政府も勿論同様な調査をしている。そしてこれも現在と同様で、総理自身もこの結果にはかなり神経を尖らしているのが分る。

彼の場合は、94年2月に「3%の消費税を廃止して国民福祉税7%」を打ちだす迄、政策にしても内閣にしても世論調査での支持率が結構高いのだ。この辺は現政権と大分違う。確かに8会派で構成される難しい与党事情ながら、小選挙区制や政治資金規正導入のきっかけとなる政治改革法案を成立させたりしている。更にこの時期、クリントン政権下のアメリカ経済が厳しく、アメリカからの市場開放プレッシャーが相当であったらしい。93年にはウルガイラウンドでコメの部分開放に道筋をつけたり、辞める直前にはクリントンに直接「出来ない事は出来ない。」とはっきり言って役人をハラハラさせたりしている。

簡単に言えば、彼の内閣は役人も適当に使いながら、時宜に応じてよく働いているし、政治を浄化したいとの志も果たしかけていたとも言えるだろう。唯惜しむらくは、育ちが良すぎたのだろうが、交渉相手の悪意や裏の裏を見通す眼力や真の政治家としての非情さにやや欠けていたのではなかろうか。8か月の間でよく仕事をしたと思う一方、総理になってしまうとこの程度の人間としか会えないのかとか、入手しうる情報とはこの程度のものかという点は現在も似たようなものだろう。

当時は最大野党の自民党が圧倒的な多数議席を占めているので、役人にしても半分は野党にも気を使っていたようだ。佐川事件で攻撃する野党の先頭に立ったは野中氏自身が言っている。「本当はこの程度の事は内閣を倒す程の事件ではない。」他に側近や関係者のもいろいろな証言があり、実に興味深い。本人は志も高く金の面でも本当は清潔であり、政策的にも頑張っていたのに、8ヶ月しか持たなかったところに、綺麗事だけでは済まない政治の難しさがあるのだろう。

なによりも、与党の内部がガタガタで、「魁」党首の武村氏が官房長官だったのだが、彼に総理の女房役の自覚が全くなく、党首としての党利党略に終始。新進党と公明党の一一ラインと決定的に対立したばかりか、自民党や社会党と裏で握り合っていろいろな画策(これを小沢氏は凄く嫌ったようだ)をしたために、内閣が崩壊したようなものだろう。彼の後は羽田内閣が誕生するが、3か月持たずに自社さ政権が誕生した事見れば明らかだ。

この間、渡辺美智雄を担ごうとするYKKの動きや、クリントンとの会談で表面に出なかったが、北朝鮮問題が大きなテーマで、クリントンが北朝鮮攻撃を意図していて、その際日本が掃海艇を出して機雷除去をする事を強く求めた話なんかを読むと、今も全く同じ状況ではないか、と思えてくるところが随所にある。このタイミングで出版をするとは著者は才人との感を益々深くした。


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