2011年12月26日月曜日

年の瀬に、昭和を思う

朝の通勤時に先週まで毎朝すれ違っていた小学生から高校生までの学生が、一人も見えない。もう冬休みに入ってしまったのだろうか?一寸早すぎるようにも思うが、わけが分からない。こちらは明日で仕事納めになりそうだ。
水曜日は可燃物の回収日の筈だから、ゆっくり部屋の掃除でもしよう。今年は4月に仕事場の引っ越しをしたので、ごみが案外少ないのでこれも楽ちんな事だろう。

日本全体でみると今年は自然災害に原発事故で大変な年であった。被災されている皆さんの復旧復興に関して、政治の対応が遅いとか悪いとかの非難ごうごうたるものがある。被災者の立場に立てば、9か月経っても元の生活からはほど遠く、誰かを恨んでみたくもなるだろう。ここ数日テレビはその恨み節で溢れかえっていたみたいだ。そんなものを見ても仕方がないので、最近テレビを殆ど見ないで済む。

行政の対応がまずいのは最終的には政府の責任だろうし、政府の最終責任者は菅前総理と野田総理だから、この二人の罪は重いと言う事か。しかし辞めればその罪を逃れることが出来るのだから気楽ものだろう。これからも当分は、日本政府と言う巨大組織を管理する能力の無い人間が、総理大臣の職に着くと思うと少し暗い気分になってしまう。そんな能力があるかどうかはどのように見分けたらいいのか、誰かに教えてもらいたい。

歴代総理大臣をウイキペディアで見てみると、終戦時(昭和20年)の第29代総理鈴木貫太郎氏から第46代総理竹下登氏までが昭和の総理大臣。平成に入って最初の総理が第47代の宇野宗助氏、野田氏は第62代総理とのこと。明治は遠くなりにけりと聞いて育ったが、昭和が遠くなったことを改めて思う。

2 件のコメント:

DonKoba さんのコメント...

記憶が間違っていなければ、1931年の満州事変から1945年の太平洋戦争の終結までの約15年間に、日本の首相はやはり15人交替しました。他方、この間、アメリカの大統領はルーズベルト1人が継続していました。戦争のような大事業を遂行するためには、優れたリーダーシップが重要であることを彼らは認識していたからでしょうか?日本は首相が交代するたびに戦略も変わらざるを得なかったはずです。関東軍の独走を許した背景には、統帥権を盾に、誰も最終責任を持ち、全体戦略を統括していなかったからだと思われます。今も八ツ場ダムを巡り国交省が既成事実を積み上げている姿は余りにも似ており、ぞっとします。一方、マニフェストについても、自分達が本当に最後まで責任を持たされるという意識がなかったのでは?どうせ選挙に勝てればいいと安易に作成していた可能性が高いですね。

senkawa爺 さんのコメント...

DonKoba さん
コメントをありがとうございます。
仰る通りです。先の大戦時も同じようですが、こうくるくる変わっては誰に責任があるのか分かりません。
当事者も無責任になってしまうでしょう。
良くも悪くもリーダーたる者10年ぐらいはやらせてみなければ、本当のところは分からないでしょう。