2011年12月14日水曜日

高齢者対策

若者が少なくなっている事は誰の目にも明らかで、街中を歩いていてもどこかに遊びに行っても年寄りばかりだ。よたよた歩いている人もいれば、山なんぞに行くと、元気だけが取り柄みたいなご老人が佃煮にしたいくらい溢れている。かく言う小生もその一人に違いはない。皆さんそれなりに社会への貢献を果たし、老後を楽しんでいるのだから結構なことかもしれない。

しかし中には何の因果か、住む家や3度の食事に事欠く人も無きにしもだろう。しかしそれは高齢者約3000万人のうちからすればごく少数に違いない。政治は弱者のためにあると言われるので、恵まれないお年寄りをケアするのは当然だ。それにしても、いまの世の中、少し高齢者を優遇しすぎるのではないだろうか。子供の頃からの友人が凡そ1000人近くいると思うが、この中で本当に困窮したりして音信不通になっている者は5人といない。

中にはホームレスになってどこかの施設に収容されているか、寒空で野宿をしているか、或いは無縁仏となって朽ち果てているかと気になる友人もいる。
しかし彼とて音信があった当時、既に月に15万円ほどの年金を受け取っていた筈。ある事件をきっかけに音信が途絶えたが、彼の半生には個人的な問題があり、因果応報ともいえる。普通に暮らしてきた老人にとって老後の不安要因と何だろう?

早く死ねとは言えないだろうが、現代社会全体、何も政治だけではないかもしれないが、高齢者に少し甘すぎるのではなかろうか。之に引きかえ、社会が若者への配慮が薄い、或いは冷淡すぎると思うのだ。教育だ事の体力だ事の留学意欲が少ない事だの大人はいろいろ言うが、根本的なところで若者を粗末にしている。老人を粗末に扱えと言うと、とんでもない奴と言われかねないのを承知で敢えて言いたい。姨捨伝説ではないが、古来爺婆はある程度粗末に扱われても文句を言わず、ひっそり死んでいく運命にあった。

人の命は尊く、1日でも長生きする事が最善とされている。馬に食わせるほどの薬を大量に飲ませて長生きさせることが、本人にも親族にも本当に幸せな事だろうか。元気でいればいたで、定年延長で職場を若者から奪う事が当然のごとく法制化されようとしている。50歳を過ぎたら役人も政治家も給料を下げていく法律でも制定すべきだろう。民間企業では当たり前の話だ。

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