2011年12月9日金曜日

読後感「本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること」矢部 宏治(写真) 須田 慎太郎(文)前泊博盛(監修)

最近防衛大臣の問責にまで発展した沖縄問題。沖縄の基地問題は己とは無関係と全く気にもしていなかったので、防衛大臣ではないが素人以前。これではニュースを聞いても何も分かる筈がない。少し勉強しようかと思っていたところで、この本の書評が目に入った。池袋や銀座の書店を3,4軒尋ねたが入手できなかったので、図書館に2回通って読んだ。インパクトのある内容で、売り切れているのも頷ける。

出版は今年の6月、沖縄の旅行ガイドブックの体裁を取っているので写真が非常に多い。但し、旅行のメインストリームは沖縄に存在する米軍基地のすべて。ルートや移動手段、レストラン、ビューポイントは添え物で、基地問題について過去の歴史から理解するには実に恰好のものと言える。防衛大臣のみならず与野党の全議員に一読を薦めたい。

本の制作に携わった3人のうち矢部氏と須田氏は写真家とヨーロッパの美術館ガイドなどを書いている旅行ガイドブックの専門家のようだ。但し監修の前泊氏は琉球新報の論説委員長まで務めて現在は沖縄国際大学の教授である。ほぼ同世代であるこの3人の組み合わせが新鮮でユニークな出版物を生み出したと言えよう。

約350ページほどの構成で、沖縄の米軍基地を本島の南端から北に向かって訪ねて行く観光ガイドのスタイルになっている。しかし書名にもあるように、狙いは別にある。これが28項目にわたり、トップが「なぜペリーは、最初に那覇に来たのか」である。浦賀に来る1年も前にぺりーが那覇に来ていた事実、それも南回りでやって来た事。アメリカの軍隊が1世紀半も前から如何なる世界戦略を以て日本に対峙しているかを根底から考えさせられる内容が飛び込んでくる。

28項目にわたる内容は、今まで無知であった小生には勿論衝撃的でもあるが、日本人の多くが勘違いしているであろう事を鋭く突いているように思える。即ち日米関係である。宗主国アメリカは民主的国家とばかりは思わないにしても、かなり強固な同盟関係下にあるように錯覚しているが、とんでもない間違いらしい。在日米軍基地は全てアメリカのために存在するものであり、日本防衛のためはない。当たり前と言えば当たり前だが、有事に際して在日米軍が日本のために機能しないなんて事を想像する人がいるだろうか。

アメリカ自体も民主主義と帝国主義の狭間で揺れているのか、都合によって敵とに使い分けているのか、これに対して日本人がどうしてここまでピュア―と言えば聞こえはいいが、子供じみている或いはバカか。歴史を紐解くと理解できる事が沢山あって、沖縄の人にとっては常識らしい。数々の勘違いを放棄してきた本土の日本人に対しては様々な角度から示唆を与える事だろう。政治思想は別にして、多くの人に素直に読んでほしいものである。


1 件のコメント:

DonKoba さんのコメント...

米軍基地の存在は両面性があり、一つは日本防衛のため、別の面は、米国のアジアにおける権益擁護のため。例の震災時の「トモダチ作戦」も、震災時には、仮想敵国による軍事侵略の可能性もあったはず。だからおおげさとも言える第七艦隊までをも派遣した。米軍基地の存在は、太平洋で日本が再び強国となり米国に敵対させないため。朝鮮戦争当時、日本に再軍備させたのは、冷戦下、アジア共産圏に対抗する盾の役割を担わせるため。天皇性を維持させたのは、日本の強国化を防ぐため。満州事変以降、太平洋戦争敗戦まで、日本は13人もの首相が交代し、一貫した戦略もなく、負けてくれた。この12年間、継続して大統領であったのが、フランクリン・ルーズベルトだった。日本が太平洋でアメリカと敵対する可能性は、既に1890年に米国海軍学校の先生マハンが「海上権力史論」で指摘しており、当時のテオドール・ルーズベルト大統領はその論理によりパナマ運河を完成させた。アメリカに数年間駐在した駐在武官山本五十六が、米国との戦争に反対したが、戦争やむない場合は、米海軍を足止めさせるためにパナマ運河爆破作戦を極秘里に練っていた。ちなみに、ペリー提督は沖縄に寄ったのは、当時パナマ運河はなく、インド洋経由でしか極東に到着できず、マラッカ海峡から入ってくれば、沖縄が一番近く、かつ江戸幕府はまだ鎖国令で航海用の水、薪を供給してくれなかったせいでもあった。多分、薩摩藩の支配から逃れるための方策を琉球王朝が探っていたことを米情報局は入手していたとも思われる。
近年の日本の政治家の中で、恐らく田中角栄が日本の独自性を発揮し、強国化させる人物とみた米国は彼を失脚させた可能性がある。