2011年12月16日金曜日

読後感「天皇家の執事―侍従長の十年半 」渡邉 允 著

1996年12月から2007年6月まで侍従長を務めた人の手記。元は外務官僚で中近東アフリカ局長などを歴任後1993年11月宮内庁儀典長に転出、式部官長を経て侍従長になっている。お父さんが昭和天皇のご学友で、遡れば大山巌氏まで行ってしまうようだから代々皇室とは縁が深いのだろう。

天皇陛下とご一家のお姿は報道で度々拝見しているが、実際どのような生活をしておられるのかは知る由もない。本書を読んで第一に感じたのはその公務(あるいは私的行為とされているが、古来伝承されて天皇家で義務化されている神事を含む)の多さ、これは半端なものではない。昔、月月火水木金金と歌われた時代があるが、それ以上だ。我々には最低正月はあるが、この時こそ天皇ご一家は大忙しになる。

第二はお人柄によるものかもしれないが、国民の幸福を願う気持ちの強さだ。第三はやはり先祖を崇拝する念の強さだろう。端的にまとめてしまえばそんな括りになるかもしれない。私的な楽しみとか娯楽快楽を求めるお気持ちは殆ど無いほどまでに薄められた生活を送られているのではと思ってしまうのは凡人の悲しさかも。

陛下にとってはチェロやテニスばかりではなく、お歌を詠まれるのも、魚や植物について勉強されるのも、ひょっとしたら皆楽しみの一つなのかもしれない。国内に於いては国体や植樹祭等の公式行事における全国の各地訪問、自然災害の被災地訪問、大戦の戦没者慰霊の旅、外国元首との交換儀礼も兼ねた外国訪問等旅行の延長距離と時間は相当であるが、これも我々凡俗と違い、決して名所旧跡への関心はお示しならないのだそうだ。

僻地の移動中に例え一人でも人がいれば、車の徐行させて窓を下げて手を振るのが当たり前との事。内容を挙げて行けばきりがないが、改めて天皇陛下の存在が、古い形容を使えば有難く感じられる。しかしこの有難味を感じる国民がだんだん減っていくのも事実かも知れない。今上陛下は戦争をある意味で体験し、肩身の狭い敗戦国の皇太子として、若い時から私的な意識を持たず、日本国天皇たるべきを意識して世界と向き合ってこられたようだ。本書を読んで一番納得のいった点である。

お隠れになるまでお勤めいただくのは恐縮の限りだが、余人をもって代えがたいのも事実かもしれない。恐れ多いが皇太子殿下の天皇たるお覚悟は、今上陛下とかなり異なるのではと心配になる。秋篠宮になれば私的な思いが強いのはもっとだろう。その時の国民が天皇とそのご一家をどう思うかは、また別の問題だろう。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

象徴天皇にしては国事行為が多すぎる。対外的には国家元首だから大統領と同格と言える。しかし、米ホワイト・ハウスでの大統領の仕事のやり方とは全く違う。外国大使の信認状を受理する際も、儀礼的で国家利益がからむ意見交換はほとんど行われない。ある意味時間の無駄という外国大使もいるとか。武家政治の500年以上、天皇は陰に潜んでいたが、明治以降、表舞台に上げられたが、本来の象徴天皇の実は得るには、国事行為を大幅に減らした方がいいのでは?天皇家の行事は京都の御所でもやれるのだから、江戸城から京都に戻るのもいいのかも知れない。外国大使も京都で接遇したらいい。

senkawa爺 さんのコメント...

匿名さん
コメントをありがとうございます。
ご意については、何れも傾聴に値すると思います。
政府にはご指摘のような問題意識を持つ人がいないのでしょうか?

DonKoba さんのコメント...

国事行為や公的行事には思いつくだけでも、①法律の発布、②首相の親任、③大臣の信認、④国会開会等の他、⑤勲章授与、⑥国民体育大会の開会、⑦植樹祭、⑧外国賓客の接受、⑨園遊会等。そのうえ、200日近い宮中祭祀、正月の参賀等。恐らくご趣味の研究テーマを楽しむ間もない程の日程が詰まっています。国会議員の給与、人員削減と同様、自分達の首を絞め、懐を寒くする法案を当事者が提出しにくいと同様、現在の(天皇)制度が官僚支配力の背景になっているため彼らから改革案は絶対に出せないはずです。

senkawa爺 さんのコメント...

DonKoba さん
コメントをありがとうございます。
この200日近い宮中祭事は全て天皇家の私的行為とされているようです。これにもびっくりしました。
定年延長を喜ぶ人もおられるようですが、亡くなるまですべての仕事から解放されない人生は過酷すぎます。
公務なるものの軽減は真剣に検討すべきだと思いますが、改革案が周辺から出てこないとは困ったことです。