2011年12月7日水曜日

いい年して先生は・・・?

大学は慶応義塾に在学した。慶応では教師を先生と呼ばず君付けで呼ぶ習わしになっている。学内の掲示板に「○日○○君は休講」てな張り紙が出るのである。当初不思議な気がしたが4年居てすっかり慣れてしまった。逆に未だに馴れないで困るのは「先生」の方である。中国では○○さん程度の事らしいが、我が国では敬称である。人様を敬して呼ぶのだから目くじら立てるほどの事ではないが、どうもしっくりこない。

テレビに出てくる解説者の殆どが先生と呼ばれるが、新聞記者上がりの小父さんなんか馬鹿にされていると思わないのだろうか?個人的には面と向かう可能性が殆ど無いからどうでもいいだろうが、もしあったらとてもそうは言えない。却って失礼に思ってしまうだろう。どうも昔の刷り込み「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」が強すぎるのかな?国会議員同士が先生と呼び合うのは良いとして、昨日報道された鈴木宗男先生の釈放を祝う会は面白かった。

流石に共産党(ところで共産党の議員も先生と呼ばれることを許すのだろうか)や公明党に出席者はいなかったろうが、嘗て天敵に近い発言をしていた人を含め、議員仲間が100名近く鈴木先生の釈放を祝うべく集まったらしい。小沢一郎氏の挨拶を取り上げていたが、検察によって貶められた仲間と思えば両者気持ちが強く繋がるのだろう。筆頭に挨拶するのも当然かもしれない。

少し関連して最近思っている事、ここにも鳩山由紀夫元総理が登場していたことだ。どこに現れようと何を言おうと本人の自由だろうが、メディアは何で彼を取り上げるのだろう?元総理ともなれば取り上げない訳にはいかないのかも知らぬが、一度引退を宣言した彼に関しては政治的行動や発言を一切無視してほしいものだ。見て見ぬ振りをするのもせめての情けだろう。政治家には節操も恥も、当然ながら晩節も無縁のものであっても、見ているこちらが恥ずかしくなる。

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