スマホの時代

今更後悔しても遅すぎるが、やはりスマホの利用にチャレンジしておけば生活がもう少し面白くなっていたかもしれぬ。1年ちょっと前に一瞬その思いがよぎったが、パソコンさえ十分使いこなしていないのに無理なことだと諦めてしまった。最近の報道を見ていると、スマホは携帯電話とパソコン機能を共有する便利な道具との概念が基本であるにしても、それだけでは説明しきれない、年寄りの想像を超える機能があるようだ。

地下鉄の車内でスマホと睨めっこしている大勢の人たちを見て、こんなところで何を見ているのだろう、目が悪くなるばかりではないか。僻み半分で些か冷ややかに見ていたが、これは本当のゼネレーションギャップで、これからの世の中では、個人が所有すべき必須の道具になるのかもしれない。平成の初期、初めてパソコンを使い始めた頃は、従前ワープロでしていた書類の整理+メールが出来る道具のイメージが標準であったように思う。

それから10年も経ずして、インターネットとホームページの時代が始まる。幸い全くの偶然ではあるが、平成9年にはその波の中で仕事のチャンスを掴むことが出来た。当時のパソコンについては、書き込めるデータ容量とメモリ容量(速度かな?)と演算の処理速度が問題で、これと値段が比例していたと思う。あとはインターネット回線の太さと言うのかこれも流れの速度が問題で、日本はゴア副大統領が旗を振るアメリカにはとても追いつけない状況であったとされていた。

ところが、あれから15年、パソコンとインターネット環境の進化は目覚ましく、アメリカに比較してどうかは知らぬが、我が国ではあらゆる分野で重宝され、兎に角誠に使い勝手のいい道具になっている。小生にとってもパソコン1台有れば、これからの老後を退屈せずに過ごせることだろう満足していた。あとはガラパゴス携帯電話とデジタルテレビが1台寝室に有れば十分との考えである。

ガラ携もそれなりに進化はしているのだろうが、使い方を知ろうとも思わないのでメールですら満足に利用できていない。写真や動画が撮影できることも知ってはいるが、試みに何枚か静止画を撮ってみたが、デジカメに比較するとその差が歴然なので使う気にもならない。公衆電話以上の機能は最初から期待していないのだ。しかし、最近の報道にはスマホが頻繁に登場する。報道内容が十分に理解できぬままであるが、察するにガラ携とは大分趣を異にする使用方法があるみたいだ。

パソコン機能を併せ持つことは何となく理解しているが、パソコン初期に問題としていたデータ容量とか処理速度は今や別次元で解決されてしまっているようでもある。現代はアラビアンナイトの世界で、ドアの前に立つと呪文が無くてもドアが開くのが当たり前になっている。それと同じで、スマホは魔法のランプ宜しく、なんでも取り出せる仕組みになりつつあるようだ。ベネッセの名簿流出の犯人逮捕の情報からすると、記憶媒体としても利用できるみたいだ。

これは仕組みがよく理解できないのだが、スマホが自動的にパソコンに繋がるとパソコン上のデータをスマホが読み取って、自分のクラウドにでも保存するのだろうか。そんなことはどうでもいいが、最近よく売れているらしいクロームキャストについての記事があった。インターネットとテレビを接続する簡単な装置らしい。繋いだ後の操作はパソコンからも可能らしいが、我が部屋のテレビは型が古くてUSBのポートが無いので何れにしてもしようが出来ない。スマホがリモコンの代わりになれば便利だろう。

但し、便利さの裏には不都合もあるらしい。アップル社の携帯端末には最初から所有者の情報を逆に探知できる機能が組み込まれているので、中国では使用が禁止されたとの記事をどこかで読んだ気がする。何れにせよ、こちらは既にガラパゴス化を覚悟しているので無関係ではあるが、スパイ小説家などは構想を練るのがますます大変になるかもしれない。

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