2011年5月23日月曜日

神さま 仏さま

先週土曜日に面白い講演を聞いた。講師は京都の聖護院 宮城泰年門主と言う方である。日本には「○○院」なる寺だか神社かよく分からないところが沢山ある。高尾山の薬王院なんか典型的で、ハイキングに行くたびに疑問を感じていた。今回の講演で少し分かったのは、聖護院も薬王院もお寺さんで、祀っているのは仏様、お勤めにしている方は全員お坊さんと言う事になるらしい。ここから面白いのだが、仏さんを祀っていても、この聖護院さんは仏教のインディーズで、私の知っている何れの宗派にも属していない。強いて言うと少し神主ぽいところもある。あの創価学会でさえ「日蓮宗」の枝と知れているのだから、マイナーな新興宗教かと言えばそうではない。

現在は修験宗総本山を名乗っている。宗祖は忍者の草分けとして知られた役行者で、仏教が日本に伝来した頃の人とされている。聖護院は1090年の開山以来隆盛を極め、江戸末期には全国に2万5千の末寺を擁していたとの事。山岳で修行をおこなう坊さんが修験道行者、即ち山伏で、日本独特の仏教修行のようである。従って山伏が属する寺にはいろんな宗派が混在していて、彼の高尾山は真言宗の枝になっているとの事。聖護院も一時は天台宗に属した事があったようだ。

丁度今日本人の宗教観に関する本を読みかけていた事もあり、神仏混淆については興味を持ていたところだったので、2時間以上の長丁場だったが居眠りもせず熱心に聞き入ってしまった。そもそも我が国は仏教が伝来する以前から山岳宗教のようなものがあり、そこに行者は当然いた訳で、仏教が入ってくると、彼等が先ずその伝導を担ったのかもしれない。勝手な解釈で言えば、神様と仏様どっちが偉いかは知らないが、少なくとも自然界に宿る神様の方が先に居たことになる。

昔は寺の中にも神社があり、神社の中にも仏が祀られて当たり前の世界だった。神様と仏様が同居していた訳だ。それがどうした訳か、明治初年に神仏混淆の廃止に引き続き廃仏毀釈を政府が命令したのだが、理由がイマイチ良く分からない。ここも勝手に想像するに、先ず奈良・平安時代以降の仏教がその普及にあたって、日本古来土着の自然信仰(崇拝)をうまく取り込む努力をして神仏混淆思想が定着した。神道総本山の伊勢神宮だって当初は仏教を取り込む努力もしたはずだ。ところが明治新政府は「和魂洋才」思想のシンボルとして、仏教を舶来ものとして排斥し、神道を盛り上げようと馬鹿な事を考えたのだろう。しかし既に日本では伝来以来1千年以上を経過した仏教が定着して、神道の復興がうまくいかなかったに違いない。

にも拘らず、大正昭和に至るまで国家が明治天皇だの東郷元帥だの乃木将軍だのを神様に仕立ていたのだから、馬鹿な事をしたものだ。ま、そんな事はどうでもいいのだが、修験道は分かりやすい。山川草木これ全て仏性を備えているので、兎に角自然を有難く思う事が第一。勿論本尊は居るには居るのだが、余りランク(?)上位の仏様は祀らないものらしい。大概は菩薩か菩薩の化身の権現様のようだ。なによりも、お勤めする坊さんも修行がきつそうなので、悟りを開くためかと思ったら左に非ず。そんな高尚な事を目指さず、日々現世での菩薩業(毎日悪い事をしない程の意味か)を目指しているのだそうだ。

「山々は神の領域」日本人である小生にはとても分かりやすいが、死後の世界を何処か遠くの天国や地獄に想像する人達には理解しにくい話かもしれない。

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