2021年9月10日金曜日

神頼み

 昔から自助努力をせず、すぐに他力本願で来たせいだと思うが、神頼みの癖が抜けない。自分でも褒められたことではないと思うので、なるべく気にしないようにしてることがある。気にしないということは即ち年がら年中気にしてるということだろう。その一つがカレンダーに書かれている「大安」なんて書かれた文字。

今日はその「大安」だから良いが、昨日は「仏滅」。これが意味するところはよく分からないが、「仏滅」は個人的統計で考えてもパットしない日が多いと思っている。ならば余計なことが記入されてないカレンダーを使用すれば良いのだが、カレンダーは全て貰い物と決めてるので出来ない。故に気にしないようにしたいのだが先述の通り、気にしないということは気にしている証拠だ。

そこでwikiで調べてみたら次のように書かれている。『「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」の6つを「六曜」と呼び、現代の日本では、日にちの吉凶を占う指標として利用されています。』へ~てなもので、仏教とかの宗教由来のものではないとのこと。これで少し気が楽になった。神様と無関係とのことだが、時間による縁起担ぎのこれも外国からの輸入概念らしい。

古来先進諸国では時間、時刻を大切にしていたのだろう。自慢になってしまうが、どちらかといえば小生もその口で、「遊ぶ時ぐらい時間は厳守しよう。」が口癖なので、勝手にカレンダーの日付を変更するなんて所業は許せない気がする。時間はひょっとすると神以上のものかもしれぬのに、今の我々日本人はその時間を無駄に過ごしてることになるから残念と言わざるを得ない。

回り道をしたが時間を切り離して神様に話を戻す。我が家の宗旨は仏教の禅宗、更に言えば曹洞宗と言うことになる。開祖は道元禅師。本山は福井県吉田群にあって一度は行きたいと思いながら未だに果たせていない。このお寺のホームページをご覧頂けばすぐ分かるが、この宗派は、こちらの願いを聞いてもらえるのかどうかがどうも疑わしい。他力本願なら別の宗派に乗り換えたほうが良さそうだ。

そもそも仏教は神様と異なり、下々の願いを聞いてもらえると思うほうが間違ってるのかもしれない。それを知っていたわけでもないが、願い事は子供の頃から祖母の勧めなんから近くの宗派不明の観音様や神社ににしてきたものだ。それが公助なんかより余程霊験あらたかだったので他力本願が癖になってしまった。その極みが毎年一度の伊勢神宮参拝だが、家内が亡くなっても欠かさなかったこれも、コロナ禍をきっかけにしてサボり始めてしまった。復活するかどうかは未だ決めかねている。

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