2011年2月8日火曜日

読後感「三島由紀夫と司馬遼太郎―「美しい日本」をめぐる激突 」松本健一著

三島由紀夫の作品はあまり読んだ事が無いが、司馬遼太郎の方は大分読んだつもりだ。著者の作品もいくらか読んではいるが、この人は果たして何者だろうとずっと疑問に思っていた。歴史学者か、ひょっとしたら右翼の変わり種かななんて思った事もある。今回本書を読んで松本氏の事が初めて分かった。氏は東大の経済学部を卒業の後、文学部に再入学して文学者の道を選んだと自ら語っている。本書は二人の文学を比較しながら、戦後日本の精神史を解き明かそうとしている。

三島氏と司馬氏は共に大正末期の生まれで、戦争と軍隊に少し関わっている。と言っても三島氏は徴兵検査ではねられて実際の軍隊には入隊しないで終戦を迎えている。一方司馬氏は宇都宮の戦車連隊に入隊して終戦を迎えた。三島氏は東大、司馬氏は外国語大で共に一流大学の出身である事も含め、世代と経歴は非常に似ている。ところが、片方の作品を余り読んでいないので知らないが、三島氏のそれが純文学とされるのに対し、司馬氏の方はエンターテイメント即ち大衆文学と言う事になるらしい。

しかし著者は二人を同列に並べて殆どの作品を読破したうえで、彼らが生きた戦後昭和に於いて、二人が日本に託した心象風景の決定的な違いを解き明かす。それがもっとも端的に現れるのが1970年11月25日、三島が自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入して自決、その死に接して翌日の毎日新聞夕刊に寄せられた司馬の一文に表れている。曰く「この死に接して精神異常者が異常を発し、彼の氏の薄汚れた模倣をするのではないかと心配・・・」全く評価出来ないのは勿論、汲み取ることの出来る心情も無いと一蹴してしまった。

著者は導入部にこれを設定。実に分かりやすくロマンティストの三島とリアリストの司馬を対比していく。著者は出来るだけ公平に二人を分析しようとするが、自らをどちらかと言えば革命的ロマンティストに近い事も告白している。三島は陽明学に基づいて行動してしまった革命的ロマンティストとして位置づけている。司馬は歴史小説も沢山書いているし、陽明学実践者である乃木将軍についても「殉死」で取り上げてはいる。しかし常に覚めた目で歴史も現実も見続けたリアリストであるとしている。

ただ二人に共通するのは、戦後の日本がナショナルアイデンテティーを喪失しつつある事に対する強い危機感であったと結論付けている。当然著者自身が現時点で同様の危機感を抱いている事は言うまでも無い。西郷隆盛と大久保利通、吉田松陰と小林寅三郎等司馬の小説になった人物も随分取り上げ、、ロマンティストとリアリストとして対比をしているが、皇室に対する思いを憶測する事は慎重に避けてはいる。考えさせられることの多い内容となっている。

蛇足ながら印象に残った一文、ロマンティストについて「思想は虚構なり、即ち美しいものを見ようと思ったら目をつぶれ」

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