2018年11月11日日曜日

変幻自在

子供の頃は猿飛佐助や霧隠才蔵のように変幻自在になれたらどんなに嬉しい事だろうと胸を躍らせたこともある。しかしこの歳になってやっと、それが絵空事であることに気が付いた。所詮己は己、隠しようもないし隠すことはむしろ悪いと思い始めている。しかし、日本は外国人から見ると随分変幻自在の国に見られていると確信する。対応する相手に応じて、ある時はタクシーの運転手、またある時は大富豪そしてある時は・・・往年の名優片岡千恵蔵演ずるところの多羅尾伴内シリーズと言っても意味が通じない人が多いだろう。

シリーズ最後の作品「七つの顔の男だぜ」は小生が20歳の時なので観たかどうか不明だが、、この頃から映画に毒されていたとは驚きだ。脇にそれたが、相手によって対応を変えるのは已む得ないだろうし、悪いことではないだろう。但し、自己の本質、原則だけは曲げてはいけない。これは一人人間だけの問題ではなく、国家に於いてもそう、役所や政党あらゆる組織に於いてもそうあるべきだ。現在無原則の極みとされているアメリカのトランプ大統領でさえ、事の善悪は別として「ジコチュウ」の原則を貫いていることだけは分かり易い。

比較してイライラしてしまうのは首相の無原則さである。民主主義の原則とか法に照らしてとか如何にも原則らしき言葉を時々聞くが、肝心の法については最高法規の憲法まで時に応じて都合よく解釈を変えたりしてし、行政府の長が三権を総べるかのように振舞まうのだからやりきれない。周囲の高位高官は行政府の長に逆らわず、原則が分からず意味不明の日本語を発信し続けている。融通無碍、適当にその日を過ごす彼等はハッピーだろうが、技能実習生ならずとも振り回される側はたまったものであるまい。

無原則な振る舞いは下々から如何様に見られようと構わぬかもしれぬが、外交の場面で他国からどのように見られるか考えたことは無いのだろうか?他人のことを論う毎日であるが、ジコチュウの小生が親から教えられて守りたいと思っている原則は「人さまにご迷惑を掛けない」ただ一点である。家内が生きていれば怒髪冠を衝くだろうが、幸か不幸か彼女は今は天にいるからいいだろう。問題は私の身勝手に迷惑している友人知人だが、笑って済まして頂きたい。

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