日々の楽しみ

この二日三日少し寒くなってきたがそれでも暖かい。今日は春以降初めて灯油販売車の音楽を聴いた。18リットル1980円とマイクが叫んでいる。3月最後に買った時は1800円いっていなかったように思うから大分値上がりしているようだ。独居老人に灯油ストーブは危ないので、夏のうちに暖房をガス温風機に変えてしまったので関係ないことになっているが、経済的にどちらが安いかはまだ分からない。

いい歳をした爺がこんなせこいことを書くのは情けないかもしれぬが、これでも年金暮らしを楽しんでいるつもりだ。今週図書館で1950年11月の雑誌「新潮」をパラパラと読み、帰りに書店で10日に発売になった月刊「文藝春秋」を立ち読みして思ったことがある。その前に書いておくが、月刊「文藝春秋」は書店で買って読む唯一の雑誌であるが、今月発売号は立ち読みだけで買わずに済んだ。

何故か、やたらに金持ちの話が多いことに反発したからだと思う。図書館で読んだ「新潮」は火野葦平と檀一雄の短編小説だが、面白いことに共に私小説ではないかと想像するが、共通している点は「貧乏」がテーマになっていたことだ。二人とも戦後一世を風靡したとは言わぬが、それなりに著名な作家だった。前者は1960年52歳で没、後者は女優檀ふみさんの父で1970年63歳で没である。しかし、今これを書いていても漢字変換が出てこない。歳月を感じざるを得ない。

話を元に戻して、1950年と言えば二人とも作家として既に著名であったと筈で、出版各社からの注文に事欠かなかったともうが、それでも貧乏暮らしをしていたことが窺える。しかしそこは作家先生で、毎晩のように飲み歩いて、人生を楽しんでいたことが小説からも読み取れる。立ち読みした今月の「文藝春秋」には現代高給取りのランク表などが掲載され、お金持ちの暮らし方に関して触れていた。

1年に1億円以上の高級取りは相当な人数になるようだが、そのさらに上位クラスの方々、取り上げられているのがどこそこの住宅とか、別荘の豪華さ、はたまた所蔵する美術品といった類のことばかり。昔の作家のように無頼を決めて早死にするのも人生だし、お上品に立派なお宅で素晴らしい美術や芸能を楽しんで長生きするのもこれまた一つの人生だ。こんな特集を組んで雑誌が売れる筈もあるまい。文藝春秋社には親しい友人が多かっただけに残念でもある。

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