2015年8月15日土曜日

夜郎自大で日本の恥だ

昨夕6時から30分の長丁場になる総理記者会見の中継をテレビで観た。仕込の質疑を含めると45分の独演場だ。しかし聞けば聞くほど、総理の夜郎自大な考えが明らかで、恥ずかしく思うばかりだ。安倍総理はつい2013年4月の国会(参議院予算委員会)で「先に軽率に発表された村山談話や河野談話を継承するつもりがありません。」と明確に述べて議事録に残っている。それも一つの考えだろうから仕方がない。それなのにその後何を思ったか、今年が戦後70年の節目と称して、自ら談話を出すことを宣伝し始めた。

この声明発表後には国内外からいろいろな意見が寄せられた。それを受けて総理の発言はダッチロールを繰り返し、終に無責任の極みである隠れ蓑として、得意技の有識者懇談会(21 世紀構想懇談会)を立ち上げ、結局昨夕の会見になった。そもそも戦後50年の節目の村山談話も60年の小泉談話も、先の戦争のけじめ(反省と謝罪)を主たる目的に発表されているので、大差のありようもない。しかし昨日発表された談話は、過去2回の総理談話と異なり文字数にすると3倍ちかくになっている。

その中で、過去の談話で使用された重要な表現(4つのキーワード)を盛り込んだから、誰も文句は言えないだろうと考えている節がありありである。ならば、同様の千数百字程度で簡潔に述べるに留めるべきだ。なのに3倍もの駄弁を弄し下らないことを述べている。誰が聞いても、総理が言いたかったことは村山、小泉談話における歴史認識の否定であるのは明白だろう。曲がりなりにも日本の最高責任者の地位にある総理大臣として、歴史観を述べるべき性格のものである。

誰がどんな知識を吹き込んだか分からないが、個人の歴史観が滲み出ないので、如何に多弁を弄しても心に響くものは全く無い。まして、一人の子も持たず、いつお腹が痛くなってやめるか分からぬ人間が、子供たちに謝罪をさせるべきでないと口走ったり、100年後の日本について云々するのは僭越至極で片腹痛くなる。これで被害を被った国々の生存者や子孫の心を癒したり、それら近隣諸国との関係が改善されると本気で思うとしたら、馬鹿も度が過ぎる。

発表後の報道によると、閣議では多くの閣僚が内容を評価して「これであれば中国や韓国も理解してくれるだろう。」と言ったと伝えられた。まさか本当でもあるまいが、もし本当だとしたら、閣僚の知能程度の低さか、ゴマすりぶりが明らかになるだけのことだ。諸外国でも、総理の真意が奈辺にあるかはすぐに見破られるだろう。想像はしていたが、実に日本の恥じとも言うべき代物だ。

因みに今年の5月に、ドイツメルケル首相がドイツの強制収容所跡地を訪れて「献花した」というニュースがある。そのことを記したブログあったので次に引用させてもらいたい。http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150814/p1より
その収容所跡地であった記念式典において、メルケル首相は次のように述べたそうだ。

「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、 そして将来の世代のために、決して忘れない。我々は、皆、ナチスのすべての犠牲者に対する責任を負っている。これを繰り返し自覚することは、国民に課せられた義務だ」
このなかに「責任」や「義務」という言葉はあっても、「直接的な謝罪の言葉」はありません。この演説を聞いたユダヤ人も笑顔で拍手をしたそうだが、「謝罪の言葉が無かった」とのクレームは一切出なかったとのこと。

メルケル首相と我が総理との出来の違いは過去何度も触れているので繰り返したくないが、ここでも火を見るより明らかで情けなくなる。ここまでは昨夜のうちに書いたが、今日になって報道を見ると、内外の評価が思いのほか高いのに少し驚いている。小生の考えは昨夜と変わらない。

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