2015年8月14日金曜日

<史実と現実の狭間>読書で思う

先日「思考停止状態」のタイトルでブログを書いたが、遂に昨日はブログを書くことすらできなかった。別に忙しい訳もなく時間はたっぷりあるのに、考えることが出来ないだけである。本なんかもあまり読む気にならない。多分暑さが最大の要因だ。婆さんも同じようなこと言っている。もともとそんなに読書が好きなタイプではなさそうなので、昔から読んで面白いと思った本を持ち帰って薦めることは殆ど無かった。

なのに面白いもので、最近立て続けに3冊もの書物を持ち帰って薦めてみた。具体的には(1)「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」(2)「田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得」(3)「無私の日本人」(磯田 道史 著)。(1)についてはブログに読後感をアップしているが、(2)と(3)についてはアップしなかった。特に理由は無いが、強いて言うと角栄さんの方は100個も多方面わたって述べられた言葉の纏めであり、「無私の日本人」もエッセイ集なので沢山の人について書かれているので、感想を纏めるのが面倒だったからだろう。

亭主と趣味が一致しないことを以て喜びとし、亭主のすることをあまり褒めない婆さんだが、珍しいことにこの3冊については褒めてもらうことが出来た。3冊目は文庫本で活字が小さく、12日実家への往復の電車で少し読みかけて面白いと思ったが未だに読了に至っていない。今日病院に行く日なので、待ち時間のお楽しみにさせてもらうとのこと。こちらは毎日の通院で最低でも1時間の待ち時間があるが、やはり長編の読み物はとてもじゃないが読んでいられない。精々雑誌の拾い読みか、短編の集合体に限ると思い立った次第だ。

短編集からも教えられることは結構多い。「無私の日本人」の著者磯田氏によると、歴史上の逸話や人物像については巷間伝えられていることとし実はかなり違うことが間々あるようだ。例えば、土佐の坂本竜馬が典型で、実在はしていたが、明治の初め頃には、維新の舞台を大きく転回した人物とはされていなかったらしい。それを作家の司馬遼太郎氏が発見して小説の主人公として世に売出し、今や維新の大立者としてのイメージが定着したとのこと。

小説の力恐るべしでもある。子供心に英雄視していた真田10勇士、中でも猿飛佐助氏なんぞは敗戦のお陰で影も形も消えて無くなったようだが、世の流れ次第では故郷の信州は戸隠辺りに銅像が立っていたかもだ(笑)。銅像と言えばアメリカのワシントン・アーリントン墓地にある銅像「硫黄島の星条旗」にモデルの6人の兵士。これもヤラセであったとのノンフィクション「硫黄島の星条旗 」(文春文庫)を読んだことがある。

今日は終戦の日の前日、70年前に皇居の地下壕で最後の御前会議が行われて陛下の英断が下され、依って日本が終戦に導かれた、と簡単に理解している。この日を描いた半藤氏一利氏の「 日本のいちばん長い日」を読んだこともあるし、半世紀前に上映された同名の映画も観た。しかしこれとて、一種の小説だから坂本竜馬の喩えではないが、強調されている人物像で己の脳裏に焼き付く歴史観は、現実と大分異なっている筈。現在松竹系で公開されているリバイバル版も近いうちに観るつもりでいるが、強調されている部分は大差ないようだ。

現在発売中の「文藝春秋9月号」の冒頭随筆で立花隆氏が似たような思いを書いている。幸い未だ明治維新から比べると半分の70年前の出来事。文字による記録は大分正確に確認できるが、御前会議については写真の1枚も残されていない。立花氏にの随筆で唯一手掛りとされた画像は、戦後に高名な画伯の白川一郎氏が当時の生存者からの証言をもとに描かれた1枚だけらしい。リンク先を書こうと思いましたが上手くいきません。ネットで簡単に検索できますのでご確認願います。

正直、映画で観てイメージしていたものとは大分異なるが、多分白川画伯の画像が寄り実態に近いことは間違いない。陛下の発言については下記をご参照ください。
http://www.jpsn.org/report/6267/
日本の終戦は、41歳の昭和天皇と77歳の老兵鈴木貫太郎氏(皇太子時代の侍従武官で当時首相の座にあった)の協力があって初めてもたらされたものだろうが、当時何人の指導者が正気で居て、圧倒的多数派だったと思われる狂気を装わざるを得なかった人との間で、どんな相克があったかは、既に闇の中である。如何なる理由か、指導者の狂気が息を吹き返そうとしている現在、学ぶべき戦争の本質が時間の経過とともに薄れていくのは避けられぬことなのか。嗚呼!

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