2011年9月29日木曜日

展覧会

今日は1964年10月10日の東京オリンピック開会式当日を思い出されような爽やかな秋晴れが素晴らしい日だった。今月初旬、残暑の中で運動会を強行して熱中症の事故が発生した学校が随分あった。こんな日こそ運動会日和だと思うが、言っても始まらないか。何れにせよ彼岸も終わり、東京もすっかり秋の気配だ。薄暗い部屋に閉じこもっているのはもったいないので、昼前から六本木の国立新美術館に出かけた。地下鉄の乗り換えが多いので、いい運動にもなった。往復の階段だけでも片道300段を超えていたのでは。

昨日から開催されている第57回「一陽展」で友人(山友です)から案内(しかも今回は奨励賞を受賞している)を貰っていたので、久しぶりに展覧会の鑑賞だ。国立博物館などで開かれる企画ものの展覧会に行くことがたまにあるが、展示物の鑑賞より人混みにうんざりする事が多い。「一陽展」は伝統ある会の年中行事と言っても入場者の殆どは関係者と招待客だろう、ゆっくり鑑賞できるのが嬉しい。1時間半ほどかけて見て回ったが、絵や彫刻もじっくり見ると面白いものだ。

作者の気持ちが分かる気がするものや、どうしてこんな絵をかくのかなと不思議に思うもの。外国らしい風景なんかは分かるが、全くの抽象画については感想も言えない。中で印象的だったのは何百号と言う大画面に東北災害のニュースを伝える英語(だと思う)新聞を何枚も丁寧に広げたもの。これにはびっくりした。近くに寄って見てみると、びっしりと並ぶ各行に墨でアルファベットが丁寧に書き込まれている。作者の思いや製作日数を想像しようにも想像のしようがないのが正直なところ。しかし一番長時間足を止めて見たかもしれない。

ブースが全部で16コマあったから、出展数は絵画・彫刻を合わせると200点は優に超しているのだろう。弟がやはり美術に熱心で、リタイアした現在でも彫刻に打ち込んでいる。彼から県展などの展覧会に入選する事の難しさをよく聞いている。展示されている作品の裏には膨大な不採用になる作品があるとの事だ。友人からここ数年は毎年のように入選の知らせと展覧会入選の案内を頂いているので、着々と実力を蓄えつつあるのだろう。事実年毎に印象が深くなって、今年の作品は特に素人離れしていた。

絵画もここまで来ると、製作に掛かる時間と経費、それに作品の保管場所はどうなってしまうのだろう。とは言っても、作品の大半を売ると言うことになればもっと大変かもしれない。弟の作品については、奥さんが邪魔で困るといつも嘆いている。ウサギ小屋に住む小生の全く余計のお世話で、「ほっておいてくれ!」と叱られそうだ。

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