2025年11月7日金曜日

思い出話

 遂に立冬、冬も本番となった。鼻水が出たりするが、冬来たりなば春遠からじで花咲く春の夢でも見よう。1週間後には住居の明け渡し正式契約、15日には引っ越しもしなければならないので何かと気ぜわしい。来週は家の整理に追われることになるだろう。父が借地権付きの家を購入したのは1960年代のことだが、結局は小生が住み続けた。暫くは一人住まいだったり弟と同居したり、結婚して家族が出来、兎に角いろいろあって全てを思い出すのは不可能。

今やその頃の記憶は皆ぼんやりしている。家族3人或いは4人の時代もあったし、親戚の子を下宿させた時代もあったような気がする。新婚時代は会社の同僚が随分遊びに来て泊っていったりもしたし、小生自身も家族をすっぽらかして外泊したりしたこともあったと思う。子供が出来ると家庭内にも大きな変化があった。家内も子育てが大変だったと思うが、子供たちが結婚して家を離れてからよく聞いたものだ。「近くの商店街のお陰で子育てが出来たようなものよ。」

近くの幼稚園から小学校低学年の頃、家の隣り合わせの商店街で全ての買い物が間に合ったらしい。曖昧な記憶を蘇らせると、隣は豆腐屋、向かいは蕎麦屋の看板でラーメンも作っていた。豆腐屋の向かいは酒屋、八百屋と魚屋と肉屋がどこにあったか思い出せないが、確かあった筈だ。数軒離れて米屋、駄菓子屋があり、床屋もあった。酒屋の向かいは歯医者だった。その先には布団屋があり、ガラス屋、畳屋、自転車屋、洗濯屋、経師屋まであったものだ。その商店街は今や1軒も残っていないのだから都心の変容は凄まじいものがある。

その当時は幼稚園の入園が大変で、前の晩から家内と交代で並んだような記憶もある。区役所の支所も近くだったし、生活するには何かと便利だったような気がする。ボンヤリした記憶からこれだけ引っ張り出すだけでも大変な苦労。今ではどれもすっかり忘れていたこと。あまり意味のないことを書いてしまった。

2 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

貴兄は写真撮影はしないようですが、引越しの忙しい中であっても、自宅の各部屋とか近所のアチコチを意味なく構図も考えずに、ひたすら取りまくることを御薦めします。
利用した路線バスとか食堂とか、コンビニとか、なんでも。

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あな さん
何時もコメントをありがとうございます。
折角のお勧めですが、どうも写真撮影は苦手です。
少しでも余裕があれば1歩でも多く歩き回りたい口で困ったものです。