2016年5月17日火曜日

日本の洗濯

昨晩は東京でも久しぶりに大きめな地震があった。震源地は内陸部なのに何故か茨城県の浜の方で最大震度が観測されている。揺れが広範囲だったのは震源が浅かったかららしい。発生時刻が夜の9:23は熊本地震の最初とほぼ同じらしい。偶然の一致にすぎぬらしいが、あまり偶然の一致が重ならないよう祈るしかあるまい。東京では目立った被害は無いようだが、今朝事務所に来てみたら逆さに立てある歯磨きのチューブが倒れていたので昨夜のことを思い出した。

改めて地震大国を認識せざるを得ない。科学者の一部や政府関係者は、原発に関して地震を心配する必要が無いと判断しているが、塵も積ればの例えもあるし、転ばぬ先の杖との教えもある。転んで痛みを感じないことには対応できぬのはあまり利口の人ではないが、利口な人が少ないのが世の常だから仕方ない。地震大国は自然から背負わされていることだから諦めるしかないが、日本社会が乗っているプレートのようなものが静かに動きつつあって、そのうち大地震に結びつくのではと心配をしたくなる。

世の中の根本と言えば憲法かもしれない。安倍総理なんかも同様の心配をされて憲法改正を唱えられているのかもしれぬ。ご心配の着眼は同じかもしれぬが、総理がお考えになっている憲法改正とは明らかに方向が異なる。当方の心配はもっと別次元で、憲法なんか取りあえずは弄らない方が良い。日本人全体に広がりつつ記憶の薄れや感性の変化が余程心配である。人間の脳みそは便利にできているようで、苦しい体験や苦い思い出は比較的消去が簡単なようで、時間の経過でどんどん薄れていくようだ。

個人的生理構造がそうであれば社会全体でも同様になるのは当然で、僅か70年前のことでも、辛い経験や不都合な経験は思い起こすことが少なくなりつつある。これも一種の摂理だから仕方ないかもしれぬが、日本に蔓延る様々な不祥事、一々あげつらうのも面倒だ。科学者の世界であれ、政治家の世界であれ、芸能スポーツの世界に於いても似たようなことだろう。日本人の品質が劣化しているのは否定のしようが無い。全く医学的根拠には欠けるが、勝手に「記憶の劣化」によるとしか言いようがない。

誰かの言う通り「歴史は繰り返す」しかないのだろうか。であれば早いとこ誰かに嘗て行われた革命的な改革をしてもらいたいものである。直近では坂本龍馬が「今一度日本を洗濯致し候」と述べた明治維新だからそんなに古い話でもないが、新たな汚れが目立つ期間としては十分ともいえる。革命的な改革についてはっきり言えるのは、年寄りには出来ないことだ。若い人の中から天下をひっくり返すような人材や動きが出るのを期待するのみだ。

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