2016年5月24日火曜日

時代の流れか

数日前のテレビで、イギリスとフィンランドから来た先生が参観しているどこかの幼稚園のことを放送していた。外国から来た先生も最後の音楽の授業で一応納得する形はとってはいたもののである。この幼稚園ではお授業らしき時間に論語の素読や百人一首の丸暗記を取り込んでいるのを見て、少し首をかしげていた。幼時からの教育については勿論賛否はあろう。インドでは算数なんかを相当幼いころから教育するのが一般的なことらしい。

これがインドの科学技術発展の基礎になっているとすれば、日本の幼稚園で論語の素読をさせるのも、品格ある日本人を育てる意味においてあながち非難すべきではない。江戸時代の武士家庭の教育法を取り込んでいるのと同じだから、それはそれでいいだろう。そう言えば我が孫の一人はクリスチャンのかなり厳しいお婆さんが経営する幼稚園に通っていたが、残念ながら未だにその成果を目にすることは無いような気もする。

思うに幼稚園には文科省による学習指導要領みたいものがあるのかどうか、それぞれ個性的な教育法がとられているのは結構なことだ。しかし、先日発表になった文科省の方針「文部科学省は19日、小学校でのプログラミング教育の必修化を検討すると発表した。2020年度からの新学習指導要領に教える内容を盛り込む方向で議論する。技術の進化が飛躍的に進む中、コンピューターを制御する能力の育成が重要と判断した。」には少し驚きを禁じ得ない。

インドの幼児教育を耳にすると発想が分からなくもないが、小学生の英語教育にさえ疑問を感じているところである。国家がバカばっかりでも少し困るかもしれぬが、英語が喋れたりプログラミングが出来る子供が増えることが賢い国民の増加につながるのだろうか?因みにすでにご承知と思うが、舛添都知事は東大ご出身で高校時代から秀才の誉れが高かったそうである。もちろん現在も頭脳明晰だから、法律や金銭についても細かい点まで配慮が行き届き、自らの行動についてルールに違反してないとの確信があるようだ。

若い時分から勉強嫌いだったので、年を取って世の動きについていけない不自由があるのも事実ではある。何度か書いているが、昨今のテレビコマーシャルの相当部分は意味がよく分からない。昔から推理小説が好きだったのに最近のニュース「全国17都府県にあるコンビニの現金自動預払機約1400台で今月15日、偽造クレジットカードとみられるカードが一斉に使われ、現金計約14億円が不正に引き出された。」になると、意味もよく理解でぬほどである。

年寄りが時代の流れに遅れるのは考えてみれば当たり前で、嘆いたりするまでもないだろう。気にしなければいいだけの事ではないか。しかし今朝聴いたニュース「安倍総理大臣は世界的なインフラ整備を支援するため、約22兆円の資金を拠出する方針を示した。伊勢志摩サミットを前に、世界経済に対する日本の貢献をアピールする狙い。」は本当に驚いた。数日前に熊本地震の被害額(官民ストックの毀損)が5兆円前後と聞いて大変なことだと思っていた矢先である。幼児教育の話がとんでもないところまで飛躍し過ぎた。

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