2016年5月26日木曜日

訳が分からぬことばかり

連日電波や活字によって世界中からもたらされる情報によって、自分の考えが目まぐるしく変わっている可能性は無いだろうか。意識の浅いところがかき回されて、多少考えが変わることにどんな意味があるのか?電波や活字が未発達だった昔の人の暮らしが羨ましい気になってくる。ましてや古希をはるかに過ぎた老人である。普通に考えれば今更将来の夢や希望があろう筈もない。強いて言っても、明日もまた平穏安泰でありたいことに留まるべきだ。それなのに阿保なことを自ら好んで発信しているのだから馬鹿げた話ではないか。てな自己嫌悪に陥りつつも、悪い癖がなかなか止まないは困ったことだ。

徳川時代の日本は封建制の世の中で、身分は固定化され女性蔑視とか、子捨て子殺しに人身売買の横行とか次男以下には不公平とか、マイナス面は枚挙に暇が無いようにも思える。しかし一方で「平穏無事」が社会で最も重要視されていた価値観であったことと、あらゆる階層に於いて家、今流にいえば誰もが家庭と言うものを最重要視し、子供が宝として扱われたこと思うと些か羨ましい気もする。

引き換え現代は何故かよく理解はできぬが、平穏とか安寧とは程遠く、始終世の中が混乱している。そのためだろうが、言語が全く異なる国の首脳同士が年中打ち合わせをしなければならないようにも報じられる。何のためかと言えば、世界の経済発展のためだそうだ。小生も経済なる単語を訳が分からぬまま屡使用するが、世界経済がよしんば日本の経済であったとしても、経済発展や経済の向上が我が家の暮らしとどのように結びつくのか全く分からない。よく聞く話だが、日本は企業収益は過去最大、失業率は過去最低、しかも労働者の所得は毎年向上しているとのこと。

その上に来年4月から予定されていた消費税増税を先送りするとの話まで伝わってくる。ならばサミットなる会議で何を話し合うというのか?「日本は経済的には何もかも順調ですのでこれ以上何もしません。それぞれのお国にはそれなりの事情がおありでしょうから差し出がましいことも申しません。取り敢えずは皆で伊勢の美味いものでも食って、アメリカ大統領の卒業旅行を温かく祝ってあげようではありませんか。」とでも言ってみたら善いだろうに。

0 件のコメント: