2015年9月29日火曜日

社会の繋がり

昨日は夕方から夜まで同窓会の幹事会があったのでブログを書きそびれた。代わりに二晩続けて綺麗なお月様を観ることが出来た。中秋の名月十五夜と十六夜のお月さんである。全く曇りの無い夜空に輝く十六夜の月を見ながら帰宅。就寝前にテレビを観ると、今宵の月は(いざよい)と言わずにスーパームーンと言うらしい。何でも月の自転起動の関係から普段よりも大きく見える日が何年か一度あって、それが昨晩だったとのこと。言われて思い起こすと確かに大きかったかもしれぬ。

母校長野高校の東京同窓会は、年に一度総会が行われ、未だ30代の頃から出席している。若かった頃は、広い会場に錚々たる先輩が居並び、諸先輩の挨拶に耳を傾けた思い出がある。年を経れば、いつか自分も中央近くのテーブルに座る時が来るとは思っていたが、現在に至ると若い時の予想とは大分趣が変っている。先ず第一に総会に集まる同窓生が、この30年ほどの間に半分以下に減ってしまった。

昔は大きな会場に丸テーブルを並べて着席で食事をしたものだが、最近では専ら立食である。我々の同期は昭和34年卒業なので、戦後14回目の卒業生になる。就職して何年後から出席し始めたか記憶に無いが、38年に大学を卒業して以来だから、昭和50年前後のことだろう。当時は長野高校の前身長野中学卒業の先輩も出席されていたが、それにしても楽に25人前後の盛会であった。それが現在では100人を超える出席者があれば良しみたい感じである。

幹事会も各卒業年度ごとに幹事が2名か3名出席するこちになっているのだが、昨日の幹事会出席者は24名。卒業年度でカウントすると14期分の幹事しか出席していない。我々は同期は二人出席で高校11期と称する。先輩筋の出席者は高校6期、9期、10期の3代の代表のみ。高校33期の後輩が幹事の中の幹事役(副幹事長)で数人頑張ってくれている。本来副幹事長は毎年1期ずつ繰り下げていく約束(当初は卒業25年目が幹事当番と決まっていた)になっていたのであるが、何故か33期で途絶え、この期の卒業生が孤軍奮闘している。

創立100年の名門校の同窓会としては情けないので、なんとかしようと様々な意見が交わされたが、余り的確な意見が出てこない。どちらかと言えば、先すぼみになっている理由の解説が多かった。それを黙って聞いていると、現在の世相が浮かび上がってきた思いである。曰く、先ず卒業生の数が我々の時代は約400名、現在は約300名とのこと。男女比が異なるのは措くとしても、首都圏で就職する人数がまた極端に減っているらしい。大学の先生をしている副幹事長(33期)が言うには「我々の時代は大学を出たら東京で就職するのが第一希望、田舎に帰るのは少し恥ずかしい感じもあった。これが今や正反対、先ず郷里で就職先を探し、どうしても駄目なら仕方なく東京で。」と言うケースが結構多いらしい。

確かに、インターネットの進んでいる現代、生活費の高い江戸で暮らすなんて馬鹿々々しいと考える若者が増えて当然かもしれぬ。従って、同窓会の母数が先細っているのは事実だろう。そこに以てきて更に、同窓意識を共有する必然(必要?)を感じる若者も減っているらしい。高校時代と言えばクラブ活動なんかで結構盛り上がるものかと思っていたが、卒業後までは引きずらないというのだろうか。高校時代全くの1匹狼で、何のクラブにも属していなかった小生が学年幹事を真面目に勤めているのも不思議なものだ。

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