2015年9月5日土曜日

読後感「悪と徳と 岸信介と未完の日本」
福田 和也 著

2012年の4月に出版されたものが先月文庫化されたので、購入して読んでみた。先月から先週にかけては先の大戦の終戦から70周年に当たるので、何かと関連行事や話題も多かった。そこで思いついて岸信介氏の評伝を読む気になった次第。著者の福田和也氏は1960年生まれと大分お若いが、近代史をよく勉強されて保守論客としても高名であるのは十分承知している。

岸信介氏は安倍現総理の祖父で、安倍総理は父安倍晋太郎氏より岸信介氏に深い思いを寄せていることは度々報じられてもいる。岸信介氏に関して個人的に思い起こされるのは、何と言っても60年安保騒動である。当時は全くものごとを考えない馬鹿な学生だったので、世間では大騒ぎになっているのを知りながら、一度もデモに参加したことが無いのが今になると恥ずかしい。

その後大分経ってから、東富士のゴルフ場で直接見たことがあり、引退してから御殿場に住んでいたことも知っていた。ご本人は極めて飄々とした雰囲気を醸し出していたが、周囲の人たちの緊張感や雰囲気が、普通のグループとは異なる大物の印象だったことが記憶にある。確かロッキードかグラマン自衛隊機導入に関して名前が取りざたされた頃だったような気もする。

評伝とは言っても岸氏の生涯を描くものではなく、どちらかと言えば前半生、昭和の初めから昭和60年日米安保条約改正をやり遂げて政界を引退するまでを中心に描かれている。故に、知っていてもよいのだが知らないことが殆どなので、非常に興味深く読むことができた。印象に残ったことを簡単に書くと次のようなことかもしれない。

岸氏は若い時から非常に優秀だったにも拘らず、東大の優等生には当たり前の内務省や大蔵省に行かず、商工官僚となって若い時から産業政策に打ち込んだ人である。真面目に勉強もして、ある種の国家観(若干社会主義的)を持ち、その実現に意を用いる一方、性格的に遊びも好きで、人付き合いが大変良かったみたいだ。そして頑固とは異なるが、信念を貫くと言うことでは非常に断固たるところがあった。ここが大事なところで、後の60年安保騒動に際して、信念を貫いて条約の改定を成し遂げるに至る訳である。

だがしかし、これが当時圧倒的に国民には不人気だった故、後世の我々にはどうしても陰気な性格のイメージが出てきてしまう。しかし孫の安倍晋三氏と重ねて見てはいけないらしい。岸氏と直接知り合った人はあらゆる階層にまたがるが、政治家や軍人のように、政界を動かしていた人達でなく、いろんな階層にファンを持つ性格が彼の政策遂行能力を高めたのかもしれない。その殆どが岸氏の剛毅な性格に惹かれてしまっている。

戦時中には満州国の産業政策遂行で辣腕を振るい、東条英機総理からも信頼され非常に親しくなるが、一転敗色濃いことを見極めると、総理に早期終戦を進言して、仲が険悪となり閣外に去ることを求められる。しかし断固これに応じず頑張ったことで結局東条内閣は潰れるのである。当然ながら、大戦末期は陸軍から非常に危険視され不自由をかこった。戦後東条内閣の一員なので連合軍に逮捕されて巣鴨に3年も拘置されるが、この抵抗がものを言ったか結局無罪に釈放になっている。

戦後政治の世界に復帰してからも、初めて知る面白い話が沢山あるが、その中から一つだけ。保守合同で自由民主党を立ち上げ初代の幹事長になる時から、或いはその前からずっとと言ってもいいだろうが、岸氏は前総理の吉田茂氏とは決定的に仲が悪いのだ。吉田氏が余りにアメリカの言いなりだったことが気に入らなかったのだろう。

独立とは名ばかりで、実態はアメリカの占領状態ではないか、そのためには日米安保も改正する必要もあるし、自主憲法制定も必要だ、が彼の信念。この彼を個人的に認めてくれた一人が、アイゼンハウワ―アメリカ大統領だった。彼を日本に招くことに成功しながら、デモの激化で大統領訪日と彼の退陣が重なったことはかえすがえすも残念だったに違いない。この評伝はここで終わっている故のタイトルー未完の日本ーなんだろう。

振り返って現在の政局を思うと、彼の孫の志の低さと、犬猿の仲だった吉田茂氏の孫が副総理を勤めているこことへの違和感がどうしても禁じ得ない。

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