2015年9月1日火曜日

芸術的センス

8月16日のブログで、夏休みなんか取っている場合じゃない、早く結論を出すべきだと書いた2020年オリンピックのエンブレム問題。病院での待ち時間に今日やっと結論が出るらしいと知った。正式には午後に開催される組織委員会でやっと使用中止が決まり、結論的には勿論白紙撤回になるのだろう。何とも早や、段取りの悪いことだ。つい数日前に武藤組織委員会事務総長が未練がましく言い訳会見までしていた。

悪あがきで、恥の上塗りを絵に描いたようなことになってしまっている。武藤氏は大蔵事務次官や日銀副総裁のキャリアを持つ超大物官僚である。官僚だからクリエイティブセンスを疑問視しても仕方ないが、とんだところで晩節を汚す形になってお気の毒とも言える。武藤氏よりやっぱり下の事務方のセンスと、事務処理能力が余りにご粗末すぎる。ここまでケチがつくと流石に何方か責任を取らざるを得なくなるだろうが、森会長にでも辞めてもらえばどうかな。

センスの悪さで他人を貶す資格がないのは重々承知の介である。しかし常識と言うものがあるだろう。あのエンブレムを素晴らしいと評価した人の顔を見たいものだ。話しが跳んで恐縮だが、昨日やっと小説「火花」を読み終わった。例の大評判、今年の芥川賞受賞作品で発売元の文藝春秋社は、思いがけぬ売れ行きで大いに喜んでいるらしい。余程下らない小説以外は読後感をブログで公開するのを常としてきたが、今回はアップできない。

芥川賞受賞作品だから下らないと言っては失礼だろう。むしろ理解できないと言うべきかもしれない。題名「火花」の意味するところすら理解できないのである。ストーリーは分かり易い。関東と関西の若手漫才師二人の交友を描いている。漫才師は客の笑いを取ってなんぼのもの、二人とも日常的に非常識な言動でウケを磨いている。他人から見れば非常識な人間に見えるかもしれぬが、二人とも異常な神経を持ちあわせている訳でもなく、ある意味常識人なんだろう。

ストーリーは淡々と流れ、起承転結も無く終わっている。著者又吉直樹氏も現役漫才師だから、一見非常識な日常を送っているのかもしれぬ。そしてその有様が、もしかすると現代では格好よく見えるなんてことがあるのかもだ。普通の人間は誰も、己は極めて常識的な人間と思って生きている筈。しかしクリエイティブなセンスを問われると、「火花」の漫才の例ではないが、素直に自分の意見を言っていいものかどうか躊躇するのかもしれぬ。

囲碁なんかでも似たような思いに駆られることがある。平凡で常識的な手では勝てないのでは?との疑心暗鬼だ。けれども常識的な手が最善のケースが多いらしい。

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