2014年8月28日木曜日

実力主義

先日報道された予備校代々木ゼミ事業縮小問題を聞いて思ったことがある。学生の数が減ってきているのだから、予備校の事業縮小は仕方がないだろうが、代わりに大学が増えて、大学でありさえすればよしと考えると、今の高校生は浪人する必要が無いらしい。大学でありさえすればとの考えも随分いい加減で困ったものだとも思うが、我々のイメージにある良い大学の概念が変わってきているらしい。

即ち良い大学とは、就職に当たって企業側がある種の優先権をくれる大学と思っていたが、最近採用の基準が変化して出身大学は余り問題にしない企業が増えているとのこと。考えてみれば昔の方が変で、最近の傾向の方が理に適っている。一昔前までは東大出身でないと、大蔵省や通産省の門も叩けないとされたものだ。役所に入ってからも出身校がものを言って、東大出身者は同じ公務員試験上級を通ってきた人でも、京大、一ツ橋などの出身者を明らかに見下す風潮があったのも事実だ。

若い時仕事で役所に通っていたのでよく知っているのだが、所謂一流大学を出ないと官庁では出世の限界が決まっている。しかし実際に仕事をするのは、出世の限界がある人たちである。この人たちは(今は別の呼び名になっている筈だが)中級職の公務員試験で採用されている。入省時から上級職組と中級職組との間には待遇その他で天と地ほどの差がある。上級職組は内部的に「特権さん」と呼ばれていたくらいだ。

出身校とか入省時の順番が一生ついて回るのはどうも、日本独特のものらしい。
日本が先の大戦で酷い負け方をしたのも、当時の陸海軍にこの悪い風習があったせいだと言う人もいるくらいだ。アメリカはパールハーバーで手痛い負け戦をした後、ルーズベルト大統領は即座に、当時少将で海軍の序列的には上から何十番目というニミッツ氏を太平洋艦隊司令長官に任命している。詳しくは知らないが、少なくとも兵学校の序列とは全く関係の無い、実戦力の何かが評価されたのだろう。結果的に言えば、日本の優等生はこの人にコテンパンにやられることになる。

日本のこの風土に関して悪う口を言う人は、各役所でトップ即ち次官まで上り詰める人は何もしなかった奴ばかりだとも言う。冒頭に書いたように、既に民間企業では採用時点から学歴を重視しない傾向になりつつあるとのこと。これは若い人にとっても日本国に全体にも良いことに違いない。霞が関の役所も徐々にそれに近い傾向が表れているとも仄聞している。更に現代の就職状況に関して、大卒であるにせよ、一つの会社に卒業から定年まで勤める人は非常に少なくなっているとのこと。これも考えれば当たり前のことだろう。

自分が4つの企業を転々としたから言う訳でもないが、人間も成長してくると考えも変わるし、今日優秀な企業も明日はどうなるか分かったものでない。大学入試で人生が決まるような社会は過去のものになりつつあるのだろう。未だ社会に残存している過去履歴や、肩書の権威が早く消失することを期待しよう。特に霞が関官庁に残存するこの風潮が、人口構造の変化とともに壊れて、実力主義に変わっていくならば、下手な構造改革以上の効果がもたらされる筈だ。

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