雨音を聞きながら

5月は既に一度山歩きをしていたが、先週の土曜日31日に山に行くことを決めた時は、6月に入ると入梅になるので早い方が良いだろうと単純に決めただけだが、まさかこんなに早く本格的な梅雨になるとは思わなかった。少しついていたような気がする。この梅雨がいつまで続くかまだ分からないが、当分山歩きはお預けかもしれない。普通は本格的な梅雨の前に少し雨の日が続くとしたものだが、先月末にの暑さは正に季節外れで、いきなり梅雨入りも珍しい。

と言うのは先月26日が父の誕生日で、父がすこぶる付の雨男。他には先月28日は明智光秀が毛利討伐を織田信長に命じられて居城を出発してすぐ、戦勝祈願と称して愛宕神社に参詣。ここに宿泊して連歌会を催し「時は今 雨がしたしる 五月哉」の句を詠んだとされる日。5月末頃は雨と紫陽花が似合うと思っていたのに、今年は真夏の暑さで父のことも明智光秀のこともすっかり忘れてしまっていた。

6月の今になって父のことや明智光秀のことを思い出させてもらった。父は明治38年の生まれで平成8年91歳亡くなったので、同じように頑張るとすると、あと17年も頑張らなくてはいけない。考えてみると現在の自分と同じ年頃の父は、弁護士と言う職業柄もあったせいか矍鑠として社会貢献もしていたし、私的にも溌剌として毎日勉強したり毎晩晩酌もしていたように記憶する。比較して己を振り返ると、仕事が無いのは仕方ないにしても、何となく元気が無いのは情けない。

健康面や身体的には負けていないだろうが、平素考えることが自分の健康や山遊びみたいに愚にもつかぬことばかりも何となく情けない。父も70歳を過ぎて弁護士の依頼案件がそう沢山あったとも思えないが、勉強だけは続けていた。これが弁護士稼業の良いところでもあったのかな。も一つ感心するのは79歳か80歳かの時に金婚式記念と称して母とアメリカ旅行をしたことだ。どちらかと言えば母が言い出したことかもしれぬが、父はけじめをきちんとする性格だったので応じたのだろう。

父の性格からすると、何を今更と思ったに違いないが黙って女房の言う通りになった。当時の記念写真を見たことがあるが、大して面白くもなさそうな父の顔が印象的だった。男兄弟が5人いるが何れも不肖の子ばかりで父を超えられそうにない。それでも末の弟は最近東欧へ出かけたとのこと。ずくがあると感心するばかりで、こちらはとてもそんな遠くへ出かける気力が無い。せめて毎日駄文を綴るのが精々だ。

最後に雨音を聞きながら、安倍総理を信長に例えると信長に失礼かもしれぬが、明智光秀の発句を受けて続いた出席者の句を味わいたい。
引用:http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic33.html

『水上まさる、庭の松山』西ノ坊行祐(僧侶最高位)
“みなかみ”=“皆の神(朝廷)”が活躍を松(待つ)
『花落つる、流れの末をせきとめて』里村紹巴(連歌界の第一人者)
“花”は栄華を誇る信長、花が落ちる(信長が没落する)よう、勢いを止めて下さい
『風に霞(かすみ)を、吹きおくる暮』大善院宥源(光秀の旧知)
信長が作った暗闇(霞)を、あなたの風で吹き払って暮(くれ)

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