2014年6月4日水曜日

将来展望

「賢者は歴史に学ぶ」はよく聞く言葉だが、賢者が少ないからそう言われるに違いない。自分もそうだが人間は後ろに目は無いし、前向きに且つ積極的に生きることが善とされているのだから当たり前だ。しかし流石に齢70ともなれば世の大勢がどんどん通り過ぎて行く気配は感じるものの、谷村新司が歌う「昴」ではないが、己の目には暗くて何も見えず、怖くて足を踏み出せない。ここから彼の歌とは大分趣が変わるが、呆然と佇み、結局は路傍にしゃがみ込んで、ぼんやりと大したこともなかった過去に思いを致すだけのことになる。

頑張って学校の遠足に参加して、目標の山の裾野まで来ものの目標を目前にして脱落した思いに似ているかもしれぬ。そこで何となく感じることは、現代我が国が進みつつある方向が、過去進んできた方向とまるで違う方向となってきていることだ。歴史は逆戻りすることが出来ない。しかし奥多摩の里山が目標だった遠足が、ここに来て急に秩父の高い山に目標が変更されている感じである。それでも先生のアメリカが好きな生徒日本人は、何の疑問も感じずに元気よくついて行こうとしている気配だ。将来未来に責任を持つことが出来ない老人には「大丈夫かな?」の気持が否めない。

若い時は何事にもチャレンジングであるべきだ。但し結果が良ければ問題無いが、不幸にして結果が案に相違することもありうるだろう。その時になって責任は誰にも転嫁できないことだけは承知すべきだ。振り返ると長い人生で親や諸先輩の教えに背き、数々の過ちを犯してきた。結果が今の自分であり、今更誰に恨みを言う訳にはいかない。全く後悔が無いと言えば嘘になるが、置いてけ堀の曲がり角で腰を下ろして過去を振り返るとき、出来るだけ楽しかりしことのみを思うよう心掛けている。

我々の時代は出来の良し悪しは別としても仲間が大勢いた。人口が多かったことが経済発展の大きな理由であったことは間違いない。それがこれからは逆に人口が減るのだから、経済がこれ以上発展する筈もないだろうし必要もないだろう。昨日年金制度の見通しを聞いて、お上は無責任でこんなにいい加減なことをよくも言えたもんだと思った。国政を担う政治家を学校遠足に例えればクラスのリーダーくらいのものか、賢者らしき人物が少なそうなのが少し気になるが、これは致し方が無かろう。せめて自分のクラス全員の気持ちや健康状態に気を配って、引率の先生か監督か知らぬがアメリカともよく相談の上、クラスの皆が後世になって、この遠足に悔いが残らないよう気配りをしてほしいものだ。

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