2009年5月15日金曜日

ニュースキャスター

テレビで「ニュースショウ」なるものが朝な夕なと繰り返し放送される。確かに一市民の立場からすると新鮮なニュースを出来るだけ多く知りたいという気持ちがある事は否定できない。特に朝の「ニュースショウ」では新聞記事を網羅的に紹介までしてくれるので便利でもある。夕方から夜にかけてはでニュースキャスターやらコメンテータがお揃いでニュースの解説までしてくださる。だからテレビのニュースショウを見ない日は殆どないくらい毎日必ずどこかで見る事になる。

冷静に考えれば自分に関係のない出来事を事細かに知ってどうするのだ、知る必要も無いではないかとも言える。我が娘などは相当に割り切っているようだ。確かにそうではあるが、自分の場合暇なせいもあるかもしれないが、この情報収集の習慣をやめるのは相当にきつい。一種の中毒に陥っているようなものだ。実態は分からないが、結構似たような生活習慣を持つ人が多いのではないだろうか。

このように吸収された情報が知らず知らずにこちらの脳に刷り込まれて、結果的に世論形成に重大な影響を及ぼしている事については誰にも否定できないだろう。昨近小沢民主党代表の秘書逮捕以来メディアの功罪が論じられている。特に、検察のリークに乗って世論誘導している、と言う事言う向きも結構多い。本当にそうなんだろうか?昨晩古館伊知郎の「報道ステーション」で鳩山由紀夫との対談を見ながら考えた。

古館さんは鳩山氏を舌鋒鋭く攻め立てる。「国民が知りたい事は・・・・です、でも残念ながら満足な答えは頂けませんでした。」
彼はニュースキャスターという役に徹しているのだろう、対談相手を十分に知っている訳でもなく、好きでも嫌いでもないだろう。それはそうだ、元々がプロレスか競馬の中継が専門のアナウサーだったのだから。台本通りに無邪気に精いっぱい視聴者に媚びているにすぎない。私は嘗て番組を作り送り出す側にいたのでよく分かる。

彼は彼なりに真面目に役をこなしているのだ。彼の一語一語が視聴者の脳にどんなインパクトを与えるかと言う事について考えてみろ、または責任を持てと言われても困るだろう。問題は番組に出演するコメンテータも視聴者に媚びていると思う人が多い事だ。視聴者に媚びてさえいれば、どんな時でも「視聴者の方は、或いは、国民は」と言っておけば コメンテータも責任追及される心配はないだろう。

メディアはいつも市民の側に立ち正義の味方のような顔しているが、この事も少し深く考えると結構怖い事だ。幸徳秋水のようにジャーナリストとして信念を貫いて死刑になったのではたまらないと言う事も分かる。しかしもっともらしい事を言いながら、自分には何も意見が無いというのも困った事かもしれない。

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