2009年5月14日木曜日

五月晴れ

今日のように爽やかな日は1年のうちで数えるほどしか無いのでは。幸い仕事も少なかったので爽やかな風を感じながら小1時間散歩をしてきた。主なる目的は明後日長野に帰る電車の切符を購入する事で、特に何を考えるでもなかったがやはり脳裏をかすめたのは長野で過ごした少年時代の日々だ。

今日のように気持ちの良い日はよく近くの山に行って爽やかな風に吹かれて青空をぼーと見上げていたものだ。丁度今日と同じで特に何も考え事をするわけではなかった。いろんな空想を楽しんだものだ。詳しくは思い出せないが何を考えていたのだろうか。70歳を目前にたどり着いた現在の姿を想像だにしていなかったのは間違いない。

今日ただ風に吹かれてビルの谷間を歩きながらあの日の自分の姿が思い出された。場所は明後日同期生と集う高原の原っぱ、大きな鳥居がポツンとあって少し離れて林の下につつじがたくさん咲いていた。眼前に大きな飯縄山がでんと聳え立ち、遠くには残雪の北アルプスが連なっていたっけ。数人の友人と車座になって取りとめのない話をする。内容は何も覚えていないが「松籟千古の楽を奏す飯縄の原」と誰かが言った。何故か今でもこの言葉だけが記憶に残っている。そしてこの山に戸澤白雲斎や猿飛佐助が昔実在した事を信じて疑わない自分がいた。


昭和30年代前半の日々、自分は空想にせよ自分の将来についてどう考えていたのだろう。70歳を目前にたどり着いた現在の姿を想像だにしていなかったのは間違いない。少年時代に最初に憧れたのは、先ず「侍」「侠客」、これを現代に置き換えると最初は「ヤクザ」かと思っていた。マジな話で高校生の頃までそんな気分でいたのだから世間知らずと言うか非常識もいいところだ。

今にして思うとやはり普通の人と変わっていたのだろう。可愛がってくれた祖母がそんな性格を心配してか、当時出来たばかりの防衛大学の受験を勧めてくれた時はもう3年生になっていた。学力はかなり落ちていたが、調べてみると入学試験がその年の秋、しかもかなり狭き門である事が分かり、すぐ諦めてしまった。

担任の先生はまさかこいつが進学するとは思っていなかったかもしれない。しかし3年の夏休みに自分としては密かに大学に進学する決心をした事を知らないだろう。きっかけはある事件と防衛大学を出て自衛隊に入る事を勧めてくれた祖母の言葉にあったと思う。折角の祖母の思いとは全く違う人生を歩いてしまったが、風に吹かれて取りとめのない事を思い出した。

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