2015年3月4日水曜日

悲しからずや道を説く君

現在進行中の衆議院予算委員会での政治資金絡みで、最も悪質だと思うのはどう見ても下村文科相だろう。道1本渡れば板橋区なので、この人のポスターは毎日のように見ている。邪心を感じさせない穏やかな顔をしているが、予算委員会での答弁を聞いて、とんでもない人間だと言うことがよく分かった。文科省の前身、文部省と言えば教育を専らに司る役所だ。科技庁が一緒になったからとてその本質が代わって良い筈は無い。

成人前のイメージでは、東大や京大の総長が勤まるような一流の教育者が座るポストと考えていた。調べてみると、少なくとも昭和も50年代前半くらいまでは、余りギラギラした人間は就任していないようであるが、昭和59年の森喜朗氏あたりから、なんでこの人が文部大臣なのかと首を傾げたくなる。国公立の教育機関が多いので、政治家の嗅覚に何かが引っ掛ったのだろう。義務教育の荒廃とは言わないまでも劣化や、雨後の筍みたい大学の乱立で、大学生の学力低下が指摘されて久しい。

与党政治家やご用学者連中は何かと言えば、これを全て日教組の所為にしようとする傾向があって、一般人は半ばそう思い込まされている節がある。如何に聖職と言われようと、教職員と雖も労働者であることに違いは無いのだから、組合を組織することは別に問題は無いだろう。組合に参加したことが無いので、これ以上はコメントできないが、子供や学生の学力について主たる責任を取るべきは明らかに行政の方ではないだろうか。

教職員が不謹慎な社会問題を起こすのは論外だが、行政側にもしっかりしてもらいたい。ましてそのトップに座っている大臣が、テレビ中継が入っている国会の場で不名誉な問題について追及を受けるのは恥とすべきだ。現代は国会議員の先生様もお金が沢山必要なようで、金集めに躍起になるのはよく知られている。なぜそんなにお金が必要かよく分からないが、文科相だからと言って清ましてもいられないのだろう。他の大臣と同じように、法律違反ぎりぎりと言うか、バレなきゃ良いだろうでやってしまったことは仕方ないとしよう。

ゴメンで済めば警察は要らないが、仕方ないとしなければ内閣が消滅してしまう。(笑) 問題はその謝り方である。余りにも文科相の品位に欠ける。質問者を恫喝するのは、せめて総理だけに留めてもらいたいものだ。自分の非を認めるのは辛いかもしれぬが、非は非とした方が国民が納得するかどうかは別としても、時間の無駄が省けるだけましである。聞けば下村大臣は安倍総理の親友で、道徳教育に力を入れたいと仰っておられるとのこと。

道徳教育とはどんなことをするのか知らぬが、身を修めたり徳を積むことは遥かな道のりで難しく、少なくとも教室で先生が生徒に説教してできるものでなかろう。先生が身を以て範を垂れることこそがその第1歩である。このことを敷衍して考えれば、その先生を指導するトップが文科大臣となる。その大臣様の言動がテレビで全国に流されているのだから、今更何を況やである。

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