2012年3月23日金曜日

卒業式

今日は近くの小学校の校門に日章旗が2本飾られ「卒業式」の看板が出ていた。数日前から池袋駅付近では、和服に袴姿の女性が散見されていたが、いよいよ今日は小中学校での本番だ。20歳を過ぎた大人が着飾っているのを見てもあまりピンとこないが、子供が晴れ着に身を包み、親御さんも何となく緊張気味に連れ添っているのを見るのは微笑ましい。

小中学校を卒業する子供に将来何になりたいと聞くと、大概の子はスポーツ選手や芸能人になりたいと答えるらしい。こういう世の中だから仕方がない事だろうし、子供たちが夢を持つのは悪い事ではない。翻って自分の昔を思えば、果たしてどのように思っていただろう。記憶があいまいでうまく思い出せないが、何となく偉くなりたいと思っていたような気がする。

「仰げば尊し」の「身を立て名をあげ やよ励めよ」と孝経の「身を立て道を行い、名を後世に挙げ、以て父母を顕すは孝の終り也」がごっちゃになって刷り込まれていたのだろう。偉いと言う言葉の意味も不明確であったにしても、他人から尊敬されさえすればよかったのだろう。長ずるに及んで、その考えが歪んで、やくざになって見たいと思ったりしたが、結局、親戚中に迷惑が掛かるから絶対なってはいけない三屋(保険屋、株屋、広告屋)の一つ広告屋になってしまった。

人生とは皮肉と言うかままならぬものだ。大学を卒業してから半世紀上経ってしまったが、こうありたいと思う方向に行けた事、そこで望みがかなった事は果たして何回有っただろうか。ほとんど無いに等しいが、ほんの僅かなチャンス、他人との縁に支えられて何とか今日まで生き延びてくることが出来た。残念ながら小中学校の卒業時に心中期待した、偉くなって人様から尊敬されるようなことは一度もなかった。

勿論名を挙げて父母を顕すこともなかったが、これからはせめて、人様にご迷惑をかけて後ろ指を指されることがないようにしたいものだ。

4 件のコメント:

Don Koba さんのコメント...

卒業式の定番「仰げば尊し」は、今どきはほとんど歌われないとのこと。昔を懐かしむ世代(50歳以上か?)の中にはその復活を願っている人もいるらしいが。今、卒業式に歌われるたくさんの人が作詞作曲した「別れの歌」も、なかなか味わい深いことも確か。先生も生徒とともに学び成長しているはずなので、師だけを一方的に崇めるというのも思えば奇妙なことなのかも知れない。画一的な価値観、教育からの脱却には、卒業式の歌にも多くのオプションを持たせることはそれなりの意味があるのかも知れない。

kiona さんのコメント...

いや、尊敬いたしておりますよ^ ^ 確か「本当はヤクザになりたかった」などとおっしゃっていました^ ^

うちもW卒業式で、中学は行かなかったのですが、小学校は改装工事中で、近くのホールを借りて執り行いました。みんなめかして、女の子はAKBのようなチェックのスカートで(うちの娘も^ ^)ホールなんかでやるもんですから、私立のお嬢さん学校にでも通わせてた気分になりました^ ^

春の卒業、入学はやはり日本の風物詩。この点だけはグローバル志向の自分も9月新学期提案には乗り切れないところです。

かをる さんのコメント...

おはようございます。

>人生とは皮肉と言うかままならぬものだ<
本当に!
子どもの頃に描いた夢の一つも、叶ってないような?
でも、まあ~美味しいものが食べられて、健康
子どもや友だちもいる
最近は、小さなシアワセで良しとしよう~と言い聞かせてます。

senkawa爺 さんのコメント...

Don Kobaさん
コメントありがとうございます。
>画一的な価値観、教育からの脱却
これは大事な事ですね。特に我が家はユニークな孫が揃っていますので、ぜひそうあってほしいと思っています。

kionaさん
W卒業式おめでとうございます。
お母さんが中学の息子さんの方に行かれたのですね。
>春の卒業、入学はやはり日本の風物詩
今年は桜の下での入学式が多くなることでしょう。
正に日本の風物詩です。

かをるさん
いつもありがとうございます。
ばんたび思い通り事が運んだら、却って人生面白くないかもしれません。
家内がよく口にするのですが、「生きてるだけで丸儲け」明石屋サンマが長女に命名したのが「いまる」その語源だそうです。
いつもそう思っていれば、どうといいうことはないそうです。