2010年5月13日木曜日

東京国立博物館「細川家の至宝」

暇になったしお天気もいいので散歩がてら新緑の上野公園に行って、東博で開催されている特別展「細川家の至宝」を見てきた。先月売りの文春で細川護煕氏自身の執筆になる特集記事を読んでいたので、実物を目の当たりにしていろいろ納得した。昔から明智光秀が好きで、彼の伝記物をよく読んでいたので細川 家の先祖については若干の知識はある。今回の展示で特に興味深かったのは、明智光秀の娘で藤孝(幽斎)の嫡男忠興の夫人となったガラシャに関する展示だ。

一点は亭主忠興に宛てた直筆の書状、夫を思うガラシャの気持ちも素直だし字も見事なものだ。これはさらっと見たがもう一点はじっくり見る事が出来た。何かと言うと、ガラシャは関ヶ原の戦いの際石田三成の人質になるのを断わり、大阪の屋敷を石田方の兵に包囲される中で家臣に首を撃たせて若くして果てるのだが、その顛末について最後を見届けた上で逃げ延びた侍女が詳細に綴った報告書である。何点もの古文書が展示されていたが、これは読み応え(実物ではなくて説明パネルの方です)があった。

東博の特別展示と言えば大体いつ行っても混雑がひどくてゆっくり鑑賞できないケースが多いが、今日は絶好の日和にも拘らずゆっくり鑑賞で来たのは幸いだった。所詮は一旧家のお宝だから驚くほどのものが無いのも確か。展示物の種類は雑多だし、悪く言えばへそが無いような展示だが、そこが小生のような無趣味人が思いつきで飛び込むには魅力かもしれない。

細川家は足利幕府時代からの名門で戦国時代を織田、豊臣、徳川三代の将軍に仕えて、それなりに重きをなしてきたのは立派とすべきである。余程先見の明があったと言わざるを得ない。明治維新後の当主もお宝を分散させなかっただけではなく、尚一層日本国内外の美術品のコレクションに励んだようだ。それが可能だったのは、ひょっとしたら戦国時代迄は武芸に優れていたのだろうが、以降歴代の殿様が文藝(茶、和歌、絵画等)を重んじた事にもあるだろう。細川家の名誉のために付言すれば、勿論武芸も疎かにしていた訳ではないと思う。文藝に耽るように見せかけ情報を収集して真の政治力を養っていたとすれば大したものだ。

現当主の護煕氏も現在はすっかりその域に入っているようだが、一時は熊本県の知事になったり、更には日本の総理大臣に迄なってしまった。親父さんは随分不本意だったらしいし、ご本人も反省しきりだろう。日本は貴族階級が存在しないし、お金持ちと言ってもたかが知れている。石橋家も娘を政治家に嫁がせたばかりに毎月結構な散財をする羽目になっているようだ。

ブリジストン美術館は行った事がないが、あり余るお金でコレクションを増やすのと政治を変えるために使うのと、どちらを選択すべきかなんて事を考えるのは下司の勘繰りと言うものだろう。


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