往生際の覚悟

故郷長野市に住んでいた子供の頃、近くの山寄りに「往生地」の地名があり、林檎畑が多く、友人の家もあった。そこに至るには遊覧道路が通っていて、冬は子供がそりや竹スキーで滑って遊ぶ場所になっていたので、よく通ったものだ。もちろん「往生寺」もあった筈だが、こちらは記憶に殆ど無い。こんな事を急に思い出したのは、昨日高校の同窓会幹事からの連絡メールである同窓生の訃報が届いたからである。

その中に彼が逝く2日間に書かれた日記の紹介があった。内容は簡潔に来し方を振り返り、我が人生に悔いが無いとしたうえで、最後に「そして今、金色に輝く阿弥陀如来様の来迎を受け、妻のもとに旅立つ。」と締めくくられている。実に立派な往生際の覚悟の程に、メールしてくれた幹事役も感心したらしいが、小生も全く同感である。とても真似できるものではない。

小生のみならず現代人の多くは、用済みの人生になっても健康志向とやらで、娑婆に未練たらたらが普通かもしれない。しかし思い返してみると、小生が幼稚園時代に覚えた童謡の他に幾つかの軍歌がある。その中で今でも頭にこびりついているものに、題名は分からないので『仮に「恩賜の煙草を頂いて」としておこう』がある。歌詞は今でもすらすらと出てくる「恩賜の煙草を頂いて/明日は死ぬぞと決めた夜は/荒野の風も生臭く/ぐっと睨んだ敵空に/星が瞬く二つ三つ」である。

昭和20年頃は学齢にも達していない子供までが、こんな歌を覚えたのか、教えられたのか知らないが歌っていたのだ。物心がつくと同時に一種の死生観を身に付ける環境が整備されていたのは、何も長野が善光寺の門前町だったからではないだろう。戦時中という環境だったからに他ならない。勿論大人の感覚では違ったかもしれないが、軍人をはじめとする多くの人は、「人間いつかは往生しなければならない」を、覚悟は別にしても念頭には置いていた事だろう。

こんな事を思い出すと、己自身を含め現代人の「往生際の覚悟」の無さと往生際の悪さだ。なにも、現政府の閣僚ばかりの事ではない。テレビに映し出される事だけを念頭に、徒に金切り声を張り上げパフォーマンスに終始する野党の卑しい姿を見るにつけても情けなくなる。大正から昭和の初期にかけ、国の針路を誤ったリーダーたちの判断ミスを論うのは簡単である。しかし少なくても当時の政治家には、与野党の違いがあっても、一国のリーダーとして間違えば、自裁するなり殺される覚悟だけはあったと思う。

こんな事を書くといつも思い起こすのは、終戦後の9月になって自決した杉山元陸軍大将夫人のことだ。彼女は夫が責任を取って自殺すると言ってもしないので、「何をぐずぐずしているのか」とはっぱをかけて、旦那の自殺を促したのち、直ぐに自分も青酸カリを煽った上に短刀で喉を突いて逝ったそうだ。思うだに涙が湧いてくる。婦人ですら、と言うと性差別で問題になる世の中だが、女性の方が昔から根性が据わっていたのかもしれない。

外国と戦ってもいいような強硬論を声高に吐く人も多い。しかし、そのうち何人が本気で命を賭ける覚悟をもっているのだろうか?

コメント

のんびり万歳 さんの投稿…
「恩賜の煙草戴いて 明日は死ぬぞと決めた夜は・・・」懐かしい歌が出てきましたね。
終戦になったのは、国民学校4年生。
この歌、覚えていますよ。
死ぬことが、最高の名誉だと子供心ながら信じていましたね。

今日も、テレビの中で、野党の面々が、
菅総理の言葉じりを捕らえて、口汚く罵っていました。
情けない限りです。
tak さんのコメント…
ほんとに彼の最期は立派でした。
私はその軍歌は全く知りません。同じ年ですが。
金切り声をあげる野党の女性議員は醜悪です。
杉山夫人のこともはじめて知りました。

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