2014年4月4日金曜日

信用問題

社会の波にもまれて身に着いたことがある。単純であるが、一人では何事も出来ない、良い友を得ることが、人生で最も重要なことかもしれぬ。しかし、嘘を平気でつく人間、約束を守らない人間はあまり信用できない。友人としては敬しても遠ざけるべきだ。従って嘘をついたり約束を守らないと、友人が持てなくなる。単純にして平凡なことかもしれぬが、努力はしてきたつもりだ。でも残念ながら、嘘をついたことは多々あったろう。

嘘がばれると閻魔様に舌を抜かれるだけでは済まず、現世に於いて信用を失墜することだけは間違いない。従ってビジネスの世界では嘘は禁物である。ところが最近の政治の世界を見ると、嘘をつくことが恥でもなければマイナスでもないかのような振る舞いが目について仕方ない。他の方々がどのように思うか分からないが、政治家の言う事は全て胡散臭く感じてしまう。猪瀬元都知事や渡辺みんなの党々首だけに限ったことではない。

政党の公約からして、結果的に守ることが出来ず、結果的に嘘をついてしまったなら未だしも、最初から本心と異なることを掲げて、取り敢えず選挙に勝とうとする魂胆ありありのことも多い。例えば自民党のTPP関連なんかもそうだろうし、消費税増税分の使い道なんかも典型だろう。せめて、「嘘をついておりまして誠に済みません」とでも言えば少しは可愛げがあるかもしれぬが、盗人猛々しいではないが訳の分からぬ屁理屈で弁解するので余計腹が立つ。

日本では政治家の嘘が恒常化して、国内のみならず世界に向かっても「福島の原発事故は地域が限定されたもので、東京は全く心配ありません」とか「アンダーコントロール」なんて胸を張って嘘を発信している。こんな事を書く気にさせたのは昨日の毎日新聞が「隣人 日中韓」という大きな特集記事で「靖国神社に参拝しないと中国側に約束していた安倍首相」を報じたと知ったからだ。
外交と個人的な友人関係を同列に論じることが妥当かどうか分からないが、国家の信用が大切であることだけは論を待つまい。

安倍さんは国民とのお約束を度々破ってきたが、恬として恥じるところが無い。国内的には、それが政治風土と許されるにしても、国際的には通用しないだろう。経済的に大国であっても日本は信用できぬとされるより、小国であっても信用するに足る国と見做される方が、少なくとも小生は嬉しく思う。

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