2015年11月6日金曜日

博奕に善悪があるのか?

予め断っておくが、個人的には博奕が性に合わない。最近の報道には理解不能のことが多いが、これはその典型だ。今朝大々的報道になっている「JR東社員ら112人賭博行為=高校野球優勝校を予想―福島 」。会社側が社員の賭博行為を発見して県警郡山署に報告したとのこと。古来賭博は天下のご法度、開帳するのはそれを承知の博徒と決まっていた。しかしこれまた万物の霊長人類の特徴だろうが、洋の東西を問わず大昔から人間は賭け事が大好きであるのも事実。

外国のことは詳しく知らぬが、日本に関して講談本の知識を前提にすれば、江戸時代庶民はご法度を犯している博徒の世話になり、政府(幕府や地方政府)も博奕開帳を大目に見る代わりに、手薄な警察機構の予備隊として彼等を重宝していたこともあったらしい。外国は少し進んでいたようで、日本でも寺社の富くじに見られるように、封建領主などが自ら富くじのようなものを発行して庶民から金を吸い上げていた例もあるようだ。

戦後はご承知の通り、政府や自治体が競って博奕開帳に依る金集めに走った。その傾向はが拡大一途で、国営の競馬はもとより、国がカジノ(常設の賭博場)まで作ろうとの勢いである。この間自治体が賭博から手を引いたと知るのは美濃部都政における都営競輪廃止ぐらいのものだろう。要するに庶民からすれば胴元が博徒であろうと、在日の人であろうと、公的機関であろうと関係無い。

博奕が楽しめればいいだけのことだ。日本で博奕に廻っているお金はいつも相当な金額で、一時は自動車業界の総売り上げとパチンコ業界の総売り上げが同じと聞いた時代もあった。パチンコの人気が薄れ、自動車業界が伸びていると言っても、公営賭博が加算されれば相変わらず賭博業界が上回ることは間違いないだろう。しかも片側に於いては、司法機関が伝統的博徒の開帳を徐々に締め上げはじめ、今や伝統的博徒の開帳なんか壊滅状態になっているのではないだろうか。

要するに博奕は庶民にとって欠かせぬ娯楽であることだ。司法関係者であろうと、マスコミ関係であろうと賭けマージャンをしない人はいないだろう。まして、仲間内で高校野球の優勝校を巡る賭けをして何が悪いのか。JR東日本とすれば、その回覧板に会社の便箋を使ったことが犯罪だと言うのか。馬鹿も休み休み言えである。巨人の2軍選手が高校野球の賭けに乗ったのは、少し意味が違うような気がするが、これとて詳しく調べれば、もっと論評すべき他の事実があるかもしれない。

少なくとも、今回のJR東日本郡山総合車両センターの場合、届け出を受けた県警郡山署も扱い方には苦労することだろう。

0 件のコメント: