2020年12月2日水曜日

意味不明の言葉遊び

 外国の事情は知らぬが、昔から我が国では言葉遊びが盛んだったようだ。掛詞(かけことば)や謎掛けが才能豊かな文人や芸能人によって生まれ、多くの人を楽しませてきた。理由はよく分からないが、これも楽しみの一つとして勝手に想像してみた。昔々、中国から漢字とともに言語が相当輸入され、その読み方を適当勝手に言っているうちに誰かが仮名文字を発明して、それまで使っていた言語との橋渡しをするようになり、徐々に整理されて日本語が定着していったのだろう。

当然の結果として日本語は複雑怪奇、同じ言葉でも肯定にもなるし否定にもなる。子供が生後4年や5年でよくこれを習得するものだと感心している。欧米にもボードビリアンと称する芸人が存在するそうだから、それなりの言葉遊びはあるだろうが、日本の寄席芸人ほどの多様性はあるまい。池袋にも寄席が1軒だけあって昔は時々息抜きに行ったものだ。でもテレビのお陰(これも肯定的に取られかねない言葉だ)近年はすっかり寂れ、最後に行った時は昼席で入場して、夜席も無料で居られた。

ところがそのテレビの芸能が最近は様変わりして、嘗て寄席で観た芸能は態々「古典」と銘打たれる始末まで落ちぶれて、古典人間にはすっかりつまらなくなってしまった。つまらないのは意味が通じない、分からないからで、テレビ芸人のせいでないのは分かっている。言葉は時と時代で変化するのはやむを得ない。いっそこのブログも長生きして古典になることを期待しよう。話がおかしな方向に入ってしまったので戻したい。

芸能について語りたかった訳ではない。意味不明で言いたかったのは報道で聞く政治家の発言だ。彼らが教養不足で語彙が少ないのは仕方ないにしても、余りに日本語としての言葉遣いが酷すぎる。言わんとする文脈のよって来る根拠(英語でエビデンスと言うらしい)、前の発言との脈絡や他閣僚との整合性を言えば殆ど支離滅裂。使う単語の不適格さは、如何に漫画ばかりで育ったからとしても、曲がりなりにも国の指導的立場にある者ではないか。


最近は揃いも揃って昔の紙芝居宜しく、何やら特筆大書した画用紙を振りかざして何かを喚く。如何に芸能番組が面白くないからとて、政治家が紙芝居屋の真似事してどうなるというのだ。大人を馬鹿にするな。

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