2020年12月13日日曜日

外国語の学習

 中学に入学したばかりの頃、英語が面白くて高校くらいまでは一所懸命単語を覚える努力をした記憶がある。しかし昔から記憶力が貧弱だったみたいで、6年間勉強しても物にならず、英語の読み書きも会話も全くダメである。小学生時代は漠然であるが外国に憧れていたが、我が人生では外国で活躍する夢は1度も実現しなかった。観光目的で英語圏の国へ旅行した経験もいくらかあるが、英語を話せた記憶はゼロに近い。だから英語が出来る人が羨ましくてしかたない。

それはともかくとして、いつも不思議に思っているのが昔の人の外国語習得方法。歴史に残る最古参は奴国王だが、これは古すぎて年代の特定が難しすぎる。はっきりしているのは百済と協同して戦った坂上田村麻呂と言えば8世紀から9世紀初頭に活躍したの貴族らしいが、この頃既に大陸の国(百済)と協定を結んで東北で夷狄と戦っている。夷狄とは大陸系の民族だったか列島内の民族だったかは分からない。何れにしても大和言葉とは異なる言語を使用していた民族だろう。

9世紀になると大陸との往来はより活発になり、最澄や空海といった坊さんが大陸に留学して勉強すらしている。現代人がアメリカのハーバート大学に留学する以上に大変だったに違いない。明治維新以降になると同じく坊さんの河口慧海がチベットやネパールに単身乗り込んで多くの経典を持ち帰っている。彼らが外国人と折衝するに手真似だけでは通じる筈もない。文字の読み書きが物を言ったに違いない。

ここからは勝手な類推になるが、大陸の文化を日本に最初に齎したのは朝鮮半島の民族で、文字を持ち込んでくれたようだ。仏教伝来を「ほっとけほっとけゴミや(538年)さん」と習ったように6世紀半ばには半島から仏教と文字が大量に流れ込んできたのだろう。だが日本人昔から喋りが不得意だったのかもしれぬ。字を習い、これを日本の言語の当てて仮名を作り上げていったに違いない。英語を聞いて「ザットイズハボツクス」とカタカナで当てたようなものだ。

小生は間違いなく大和民族の血を引き継いでいる、と妙なところで安心している次第。

2 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

私はアイヌの末裔でありたいと願っています。
ところで、
先ほど遅れ馳せながらブログにても案内いたしましたが、また気が変わって引越しは中止しました。
ということで、古巣の無無無庵(https://nonn634.blog.jp/)にて続けますので、今後ともに御ひいき願います。
中止の理由は大声で言うと祟りが有りそうなのですが。
引越し先ブログで利用したテンプレートの作者から、色々とアドバイスがありまして。
私としては、「大家に指図される店子」の気分に嫌気が差してしまったんですよ。

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あなさん
いつもありがとうございます。
父の口癖が我が家の先祖は天照大御神。冗談のつもりだったでしょうが、私は英語下手で勝手に大和民族が先祖としました。
奇しき縁で、父の勤務先であった奈良市で生まれたものです。笑
貴兄のブログは10日頃からスタンバイしてましが、了解しました。