2012年11月29日木曜日

人間生まれつき

4歳になったばかりの孫が水疱瘡に罹ったそうだ。一昨日から今週一杯は幼稚園を休まなければいけないらしい。今日は母親が幼稚園の保護者会に行かなくてはいけないので、婆さんにベビーシッターの留守番ヘルプを求めてきたとのこと。今夜の食事は孫のために昨日から作っていたカレーライスだそうだ。

少なくても老夫婦二人になってから家ではカレーを作ったことがないとのこと。昼飯にあちこちのカレーを食べ歩いているのを知っているので、「今日の昼にカレーだけはやめてね。」言われている。カレーとかすき焼きは家庭によって作り方が千差万別とされるので我が家の味が楽しみでもある。人間は生まれた時に個性なんかない、と解剖学がご専門の養老孟司先生だったと思うが書いていたような気がする。

個性は全て誕生後の学習によって作られるとのことだ。しかし夕べ孫の話から娘の子供時代のに話が及び、我が年子の娘の個性の違いは本当に誕生後の学習の違いだけだろうかとの疑問に至った。僅か1年半ほどの違いでの誕生なので、母親としては殆ど同じような育児法を持って臨んだらしいが、性格には実に大きな違いがあるのを認めない訳に行かない。

性格はさて置き、肉体的な個体差で、今でも不思議で仕方がないのが水疱瘡に対する免疫だそうである。今日手伝いに行っている上の娘は未だ水疱瘡をしていない。娘二人がが幼稚園時代、下の娘が水疱瘡を貰ってきたのでこれで安心と思ったが上の娘には感染しなかったとのこと。子供が出来てから子供の水疱瘡に感染すると大変なので、何とか幼稚園時代に済ませようといろんな努力をした。

水疱瘡発生の友達がいると積極的にその子の家に遊びに行かせたが、それでも罹患しなかったとのこと。今度正にその心配の事態になった訳だが、お医者さんに母親の方を検査してもらうと、何と抗体が既に出来ているとのこと。
一先ず安心ではあるが、どうしてそんなことになったのか、不思議でならないそうだ。

学術的根拠は全くないが、DNAだか染色体の数は同じでも二人と同じ顔の人間がいないように、人間は生まれながらにして個性があると思いたくなる。
我々夫婦がそんな考えなので、娘たちまであまり上手くいかないことに出くわすと、全て製造責任者である親や先祖の責任にして挑戦を避ける傾向があるかもしれない。あまり褒められた話ではないが。

2 件のコメント:

kiona さんのコメント...

高校生の息子に生物はしっかりやれよ、と言ってたのに大した成績でもなく、何か抜きん出たものもまだ見当たらず、自分が高校生の頃を棚に上げて案じています。

その昔「利己的遺伝子」「生物は遺伝子の乗り物」なる理屈が流行ったことがあって、なるほどと思ったものの、ではなぜ子どもには親の遺伝子が半分しか伝わらないのか、とも思っていたものです。環境の変化に対して反クローン的なプログラムがあらかじめ用意されているようで、これこそがサバイバルの必殺技なのでしょう。

半分半分が掛け合わされたのに、まったく同じにならないことも不思議で、やはりあらかじめ個性が与えられていると考える方がスムーズです。その個性も置かれた環境によって花開いたり、ネジ曲がったりするのでしょう^ ^

環境というのは気候や社会情勢だけでなく、自分たちが生まれた順番そのものも環境の一つで、よくも悪くも兄は兄らしく、姉は姉らしく、弟は弟らしく、妹は妹らしく、中間はオールラウンドで、一人っ子は一人っ子らしくと、なかなか環境を裏切ることはできません。それで言うと中国の一人っ子政策というのは、偏りのある社会を生みそうです。

まとまりのない話ですいません。音階は12しかないのにさまざまなメロディーが生まれるように、4つしかない塩基がさまざまな個性になる。宇宙のようにどこまでも不思議です。

senkawa爺 さんのコメント...

kionaさん
こんにちわ、コメントありがとうございます。
人間に限らないのでしょうが、生物て不思議なものですね。
クローン技術の研究が実験室で行われているようですが、慎重に考えてもらいたいものです。山中教授がノーベル賞を受賞した細胞の初期化なんて技術も、使い方を間違えるとえらいことになりはしないかと余計な心配もしたりしてます。
人間が母親の胎内から出てきた時点で、一種の個性が埋め込まれていると考えた方が楽ですね。