2010年8月20日金曜日

平成元年を思う

昨日「光陰矢の如し」とタイトルで書いた。毎日平々凡々と変化の無いような暮らしをしていても、ふと過去を思い起こすと、我が身も身の回りの風景も報道を通して知る世の中も、実に大きな変化がある事に驚かされる。何十年も日記を書いていれば、その変化がはっきり分かって面白いのだろうが、生憎日記を書き始めて未だ5年に未だ1カ月足りない。

ところで現在は平成22年、昭和は既にレトロになりつつあるらしい。それはそうだろう。つい昨日のようにも錯覚するが、平成元年と言えばこちらは48歳。当然現役で、やっと再就職先に収まったばかり。これから先女房や子供を食わせていけるかどうか、内心少し心配しながら、その就職先での居場所を確保するために毎日懸命に働いていたのだろう。勿論貯金なんか1銭も無かったが、将来の事はあまり考えないと言うか、なんとかなると甘い事を考えていたものだ。未だ酒は毎晩飲んでいたし、全て会社の金と言う訳に行かなくなっていたので、自腹で行きつけの店を開拓したりしていた。

と言う事はテレビの視聴時間は殆ど無かったろう(しかしテレビ番組を作る方に居たのだから、お笑いだ)。その代わり昼間仕事をさぼって、本を読んだり映画はよく見ていたかもしれない。交際については仕事でテレビ局や新聞社、官僚や大企業の人と付き合う機会が多かった。当時日本は後にバブルと言われる時代で、日本全体が少し狂っていたようだ。少なくとも小生自身も、今から考えると嘘のようだが、政治なんか露程の関心も無かった。政治家なんて、役人に振りつけられる芸能人みたい者で、経団連とか農協とか労働組合とかの大組織と官僚の間の調整役だと心得ていたものだ。

当時は大組織や大企業に出入りをしていたので、日本の政治的決断の全ては霞が関の官僚が行っていると確信をしていた。又、大新聞の記者が霞が関高級官僚や政治家のフロントに位置して、使い奴の役目を果たしているのを目の当たりにしていた。兎に角今にして思うと、驚くほど政治に関して無知だった。実際は、海外ではベルリンの壁が崩壊し、国内では消費税3%が導入された年だから、政治的にも非常に大きい意味のあった年だった筈だ。もちろんパソコンなんか無いし、新聞もどの程度読んだものやら。

今更反省しても始まらないが、外国との関係についても真剣に考えた事は無かったし、何回かアメリカを旅行してみて、このまま行くとアメリカの属国から独立できるかもしれないと漠然と思った事がある。驚くべき馬鹿さ加減だが、22年の歳月がもたらす変化は、個人的にも社会的にも凄まじいものがある事だけは事実だ。

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