行旅不明者

「行旅死亡」昨日までこんな言葉があると知っていた人は何人いるのだろうか。行き倒れで身元の分からない人の事らしい。行方不明超高齢者の中にはこうなっている可能性もあるとの事。その事はさておき、年寄りが行方不明になっても知らぬ顔をしている家族が多い事には驚いた。豊島区に住んでいるので、池袋の西口公園をねぐらにしているホームレスは見慣れた存在だ。当然相当な高齢と見受ける人もいる。

ホームレスばかりではなく、東京の山谷とか大阪の釜ヶ崎のドヤ街には偽名変名で暮らす人が多い事もよく聞く話だ。こういう人たちも日本国籍があれば当然何処かに住民登録はされている筈で、家族や親族が存在しない筈は無い。家族側からすると行方不明者になるのだろうが、住民登録なんかの扱いはどうなっているのだろうか?国勢調査が5年に1度は行われているが行旅不明者の統計ってあるのだろうか、全国的に見ればかなりの数になる筈だ。

今まで他人事として考えてもみなかったが、高齢者の行方不明事件や、育児放棄事件の報道を見ていると、親子とか家族の人間関係の崩壊と言う根本問題は取敢えず別に置いて、現代のお役所仕事について考える必要がある。たまたま先月30日の日記で、社会保険の件で国民総背番号制の統一について書いた。一つはこれである。現代の役所は個人情報にシュリンクしすぎるのではないか。日本では身分証明に運転免許証かパスポート又は健康保険証の提示を求めるのが常態化しているが、3件とも持っていない人もいるだろう。

生まれた時から割り振られた唯一の番号ですぐ住民登録が照合できるのがベストだと思う。もう一つは自治体警察の役割である。外国人なんかが増えて、刑務所への収容が間に合わない程犯罪も増えているようではあるが、交番の縮小にみられるように警察と地域住民の繋がりが年々希薄になっているのが事実だろう。ヤクザの居る明るい街を、と唱えた作家もいたが、地廻りの親分も居なくなってしまった。婆さんが言うには、隣組と言えどもお祭りの寄付や赤い羽根募金の500円を集めることさえ難しい世の中らしい。

お巡りさんはせめて1年に1回程度は、担当の家庭を全て回って家族について確認すべきだ。そしてその情報を自治体の厚生担当者と突き合わせるシステムの構築こそが大事ではなかろうか。パソコンの出現で世の中が随分と変化し、警察を含め全ての役所は部署ごとに報告と記録が全てデータ化されているに違いない。仕事の大部分がパソコンに入力と出力に取られてしまっているように思う。コンピュータのデータそのものに意味や力を求めるのは間違っている。

要はデータの使いよう、人間による問題点の抽出発見こそが意味を持つのだが、昨今の高級官僚政治家諸氏にはその辺が全く分かっていないように思う。

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