2013年10月22日火曜日

出陣学徒慰霊碑

昨10月21日東京は雨こそ降らなかったが1日中うすら寒い日であった。夕方のテレビニュースを見て、70年前のこの日がかの有名な明治神宮外苑で行われた学徒出陣式であることを知った。現在の国立競技場がその跡地であり、そこに数年前に、この式に参加して生き残った数名(確か15名だったように思う)有志が資金を出し合って石碑を建立したとのこと。現在の国立競技場は2020年のオリンピックの為に建て替えが決まったので、近々撤去されるとの報道だった。

新しい競技場完成の暁にこれが復活するかどうかは未定とのことだった。これを受けてインタビューに対応されていた生き残りの方は既に90歳、当然ながら日本の平和が続くことを願っているので、学徒出陣があったことを末永く記憶にとどめるためにも是非永久的にこの地に碑を置いてほしいと述べていた。毎年10月21日にはこの碑の建立に関わった有志がここに集まり、記念式典みたいことをされていたようであるが、今年集まった人は僅か3人、今年が最後になるだろうとのことだった。

「これから起こる社会現象は必ず過去起きたことと同じで、たまたまそれを君が知らないだけだ。」アメリカの大統領であったかヨーロッパの指導者であったか忘れたが言ったそうだ。個人にせよ国家にせよ過去のことなんかさっさと忘れた方が良いことも多いだろうし、全てを記憶にとどめるなんて不可能だろう。一方、忘れていけないことも沢山ある筈だ。個人的には、学徒出陣式なんてことがその何れに属するかは分からない。

びっくりしたのは帰宅して読んだ夕刊の関連記事である。昭和18年10月のこの出陣式に参加した学徒の数は2万5千人と言われている。しかし、先の大戦で戦没した学徒の総数は5万人とも10万人ともされ、正確な数は把握されていないらしい。ネットで出陣式に参加して現存されている方の意見を見ると、学生総代の答辞に「生還を期さず・・・」とあったことに対して違和感を抱いたと感想を述べている人も多い。

戦争が若い人の生命を消耗するのが定めとは言え、学業半ばの若者に「人殺しをして、お前も死んでこい。」と決断する国家も凄いし「分かりました。」と同意した最高学府の学徒が数万人いたことに驚かない人がいるだろうか。中東の自爆テロニュースを見て、「なんて野蛮な奴らだ、さぞ教養が不足しているだろう」と多くの国民は思っているだろう。我々世代からすれば両親の時代、現役世代からすれば祖父母の世代は、現代の中東以上に国民が挙げて狂った社会だったのか。

*そんなことはあり得ない。続く
 もう少し書きたいが、長文になったので明日に譲りたい。

2 件のコメント:

don koba さんのコメント...

1943年10月21日の学徒出陣式に参加した学生数は約2万。実際に出陣した学生の数は大学当局も保管していないし、軍当局にも記録がないらしく、従って、正式な戦没者も不明らしい。現在戦没者の遺族補償の受給者数は200万人強いると言われるが、戦没学生に対する遺族補償はなされていないのではないだろうか。学徒出陣は、その後の学徒労働動員とともに時の首相東條の時に制度化された。猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」にもあるように、全ての戦力分析から、絶対に負けると分かっていた戦争に「自衛のため」と称して突入して行った当事者責任は免れ得ないはず。しかも、敗戦の決定を遅らせたがため、広島、長崎、全国の空襲で、おびただしい死者を出した責任は逃れられないはず。

senkawa爺 さんのコメント...

don kobaさん
コメントをありがとうございます。
戦没学徒についての記録がこんなにいい加減だったと知って、ショックを受けました。
今日も引き続き本件に関する感想を少し書きたいと思っていますので、ご高覧頂きたくお願い申し上げます。