2010年10月12日火曜日

でっかい秋を満喫


昨日までの3連休を八ヶ岳山麓に住む竹馬の友T君の家で世話になった。土曜日の夕方は土砂降りの中、中央道富士見のバス停までご夫妻お揃いで態々迎へに来て頂いた上、夫人手作りの夕食をご馳走になって夜遅くまで歓談。

翌日曜日は天気予報が外れて9時過ぎから急速に青空が見えてくる。奥さんの方が本当は郷土史に詳しいようだが、今日は所要ありとの事で、T君の案内で諏訪神社巡りをする事になった。諏訪神社はとても大きな神社で、末社は全国に1600社程にもなるそうだ。先ず上社の前宮を参拝、お宮の四方に聳える御柱を初めて拝ませて頂いた。今年は7年に一度の御柱の年に当たるので、この柱は春に新しく建てられたばかりだそうだ。

冬に山から切り出し、枝を打ち払い皮をむいた樅の巨木(最大の物は重量が5tに引き綱が8t、合計13t程にもなるらしい)を人力でお宮に運び、神を迎えるためにお宮の四方に打ち立てる儀式は日本の祭り中でも特筆大書されるもので、大社が置かれる諏訪地方は1年中がお祭りで、氏子住民は年中御柱祭に集中するので、婚礼さえ今年1年は慎むべきとされるのだそうだ。

事実この日の午後ドライブの途中、上諏訪の小さなお宮の御柱祭に遭遇して、車を止めて小振りの御柱が引かれる様に見とれてしまった。夕方新聞を見ると岡谷でも御柱祭があった事が報じられていた。兎に角この地方ではどんな小さな社にも四方にサイズは兎も角柱が立てられている。昨今のすさんだ世相を考えると、土着の信仰を守りながら神を恐れる心と、農耕民族の由縁かもしれぬが地域共同体意識を高揚するのは決して悪い事ではないだろう。


この前宮を皮切りに、神長官守矢史料館に立ち寄り、上社本宮、下社の秋宮と春宮の4社を丁寧にお参りして廻った。午後になると天気はすっかり日本晴れとなったので、T君が勧めてくれるまま霧ケ峰方面に行く事にした。霧ケ峰は山の名称はではなくて車山の裾一帯の総称との事。下諏訪から車山方面に徐々に高度を上げてくると、眼下の諏訪盆地と周辺の山なみがどんどん広がってくる。車を止めて振り返ると八ヶ岳の雄大な裾が平に向かって伸び、その向こうの雲間には富士がくっきりと浮かんでいる。

足元の斜面にはにはススキの穂が波打ち、ひんやりとした秋風が顔をなぶって吹き渡っている。歌の文句に「小さな秋見つけた」があるが、1500m近い地点から望んだこの日の秋は「でっかい秋」であった。車山山頂にはリフトが運転されていたので、これに乗って登頂。山頂のお宮もご多分に洩れず立派な御柱が建っていた。


蓼科山

翌月曜日はT君夫妻に案内してもらって蓼科山登山。全員早起きして、6:30には朝食を済ませて出発。7時前まで蓼科山は雲に覆われていたが、登山口に到着する頃は雲ひとつない全くの快晴となる。7:30女の神茶屋前登山開始、紅葉が始まっているので山全体が錦になって実に美しい。快晴なので見通しも良い。T君は最近俳句に凝っているので、急な登攀の途中でも写真を撮ったりメモをしたりしている。2時間40分で山頂に到達。山頂は文句なしの360度の眺望、北・南・中央アルプスは勿論、北から東に頭を振ると北信五岳・上信越国境の山々から浅間まで、もう少し南には金峰の五丈岩も幽かに雲間に浮かんでいる。


但し、山頂の風はそれ迄と一変、北風で肌に突き刺さる寒さなので、のんびり昼飯と言う訳にいかない。写真撮影の後は山頂ヒュッテのテラス迄撤退、昼飯を半分食べて下山を開始。復路は往路と別の蓼科山荘経由にする。30分の休憩の後10:45山頂発、蓼科山荘までの降りは傾斜もきつく険しい岩道の上に時間的に登り客が続いている。相当慎重に降らなければならない。30分で蓼科山荘に到着、残りの昼飯を食す。ここから眺める蓼科山は丸々と実に美しい。11:45蓼科山荘を出発、往路の登山口より100mほど下の龍源橋の登山口迄2時間近くかけて降る。


龍源橋から車を取りにビーナスラインを約30分又登り返し、途中で地元のおじさんが売っている松茸をひやかしたりして2:30丁度7時間で本日の蓼科山歩きが無事終了。帰路蓼科高原で茅野市営の温泉で汗を流して、T君夫妻に中央道富士見のバス停まで送って頂き16:25発のバスで帰宅。19時到着予定が2時間の延着になったが、運転している訳でもないので転寝をしたりして全然気にならない。婆さんに早速松茸を焼いてもらい写真を披露しながらうまいビールを飲んだ。

今年の山行きは先月まで2回雨にたたられたが、今回は全くの日本晴れで最高の山行きで、車山登頂のおまけまであり最高の連休となった。

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