便利は結構だが

一昨日奥飛騨から高速バスで東京に戻ってきた。土日恒例の渋滞で4時間半の予定が1時間半延着して6時間を要した。別に急ぐ旅でもないし、長野に帰郷する際大学生時代には夜汽車で7,8時間は当たり前だった事を考えれば何でもない。現在でも東京駅から東海道新幹線名古屋経由飛騨高山線高山駅までJRを利用したり、同じく中央本線松本経由松本電鉄とバスで平湯に入る時間と比較すれば、6時間は決して遅くないだろう。

最近は列車のシートは全部進行方向向きのリクライニングが当たり前だが、これも一昔前の事を思えば夢のようだ。バスのシートも列車よりはやや狭いかもしれぬがほぼ同じで旅は快適だ。列車には車内販売があるが、大阪に行くにしても2時間半もあれば着いてしまうので、余り利用した事が無い。そこに行くと今回のバスは途中休憩20分の楽しみがあった。人によって異なるだろうが、東京から奥飛騨方面へはバスが便利と思う。

今回もう一つびっくりした事がある。自家用車に乗る人には当たり前の話かもしれぬが、ナビの進歩だ。行きのバスには装備されていなかったようだが、帰りのバスは前方のモニタに何事もなければナビが表示されていた。中央道を走行中に外は暮れた上に雨の暗闇になって面白くないので、このモニタに注目した。現在走行中の位置から数個先のポイント迄の距離と走行時間が表示されている。この予定走行時間の変わり具合が、どうも現在の渋滞状況を反映してリアルタイムで変化しているようだ。客も何分の延着になりそうか分かる仕掛けになっている。

どうすればこんな手品のような真似が出来るのだろうか。話しが飛ぶが、来年にはテレビ放送の何かが変わって古いテレビは映らなくなると盛んに宣伝されている。なんでそんな用でもない事をするのか、と些か腹立たしい思いでいたが、ひょっとするとこんな事とも関係しているかもしれない。兎に角通信とか放送てえ奴は目に見えないのでさっぱり分からない。更に訳の分からないコンピュータの技術が加わっての事だろう。便利と言えば便利に違いないが、物事には何事も+面があれば必ず等量の-面があるらしい。先日読んだばかりの本からの受け売りではあるが。

便利さがプラスとすればマイナスは何だろう?すぐには思い浮かばないが、想像力が欠如してくる事は間違いないだろう。知識と知恵の違いがよく言われるが、知恵とは状況の変化に対する対応の決定力とも言われる。IT技術や高度な通信技術で未来言予測がこんなに簡単に出来てしまうと、肝心の人間の想像力が欠如して、状況の変化を読みとる事が難しくなるだろう。そんな事でいいのかなぁ。

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