2010年10月28日木曜日

世襲議員と組合選出議員ではどうにもならん

昨日久し振りに旧い友人二人と会って四方山話をした。見識ある友人の話を肉声で聞くと、成程と感心する事が多い。二人とも同じ年齢なので「どうせ俺たちゃもうはそんなに長生きしないから、どうでも良いようなものだけど・・・」と断りがあるにせよ、現在の世の中を慨嘆することしきりである。二人の嘆きに共通するのは政治の劣化、即ち政治家が余りに小粒になり過ぎている事に尽きるようだ。

二人とも若かりし日に大物政治家を目の当たりにした経験があるので、思い出話をして頷き合っていた。残念ながらこちらの若かりし日は、得意先の担当者と飲み屋のお姉さんぐらいしか会った事が無い。昔の大物政治家は会っただけでも気押されて、喋ろうと思ったことの半分も言えない雰囲気があったそうだ。友人二人は若い頃からかなり強かで物おじしないタイプだと思うが、池田、佐藤、田中氏等の総理クラスは勿論、官房長官では二階堂氏とか後藤田氏等、子供や孫が議員に菜っいる河野一郎氏もそうらしいが、見かけはチビで風采は上がらなくても相対すると相当な威圧感を感じたらしい。

要するに現在の政治家は口先だけ達者と言うか、公開の場で恰も芸能人のように、思いつき見たい事をぺらぺら喋るだけだ。本来志を持つ政治家は、目的達成のためには対象を定めて人知れず話しを着けたうえで、公開の場では空とぼけて議論を重ね、落とし所に落とし込む芸当が出来ないとだめらしい。平たく言えば与野党含めて、日本的な根回しが出来る政治家が居なくなったと言う事らしい。事の善悪は別として、政治家が小者になったせいだろうか、確かにそういう芸当が行われているようには見えないのも事実だ。

特に現政権は政治主導の透明性と公開性を強調し過ぎるきらいがあって、各大臣全てが思いつきでもなかろうがよく喋り、その為に前言や別の閣僚と矛盾する事を言わざる得なくなる事が多い。これで政治主導が出来る筈もないと友人二人の意見が一致したが、そう言われりゃその通りだ。言葉に責任が持てない内閣の行く末については、1人は参議院で早晩問責決議が通ってしまい解散が避けられないだろう、との見立て。1人は民主はなんとか凌ぐのでは、とも言ったが、その場合でも小沢を切らざるを得なくなる。

小沢を切れば付いていく議員が50人前後は出るのではなかろうか、すると民主の議席は衆議院でも相当に減って政界再編は必至との意見。政権交代を応援してきた小生とすると少し残念ではあるが、政界再編は必然なのかもしれない。そう言われてみると、政策的には自民も民主も他の政党も余り違いが感じられない。友人曰く「昨今の政治家には日本をどうするなんて志を持った奴は一人もいない。全て自分の選挙と、その為の利益誘導だけにしか関心が無い。そこに各省庁の技官グループが悪乗りをするから、全国に90以上の飛行場が出来たり、必要のないインフラが造成される事になる。」

これもその通りだろう。技官グループの悪さは全省庁の許認可関係で一般には見えないところで沢山あるらしい。ここらの事も事業仕分けで明らかになるといいのだが、組織的に官僚組織の大リストラが行われない限りどうにもならないようにも聞こえる。

政界再編があっても、変わらないのは共産党と公明党だけ。但し公明党は鵺みたいものだからどっちに付くか分からない。問題は議員の多数が世襲議員と組合選出議員なので、本当の政治主導は出来ないだろう。ご尤もではあるが困ったものだ。

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