読後感には中途半端ではあるが

年末から正月にかけて持ち歩いていた「太平記」(三)をやっと読み終わった。
全40巻のうち21巻だから丁度道半ば、あと3冊あるがここまで来たら何とか読破せずばならない。読破したら久しぶりに読後感も書きたいが、果たしていつのことになるかである。残り3冊もあるのに既に肝心の後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成、新田義貞など名前知ったる主役は全員死んでしまった。そもそもこの本のタイトルからして些か皮肉めいている。

太平とは何ぞや、を問いかけたつもりかどうか、これまでに記述された死人の数と死にざまはよくまあこれだけ思いついたものよ、あきれるばかりだ。これが歴史小説と言えるかどうかは知らないが、まんざら嘘八百とばかり断定はできないだろう。歴史知識がないのでwikiで背景の南北朝時代を確認すると1318年から1392年となっている。本書は1342年2月で終わっているので、未だ半世紀もある勘定だ。どんな人間が書いたか知らぬが司馬遼太郎もびっくりだ。

アメリカの南北戦争なんてこれに比べりゃ大したことない、なんて変な妄想は措くとしても、何気に現代日本の世相を思わせるところが気持ち悪い。500年より遥か昔から日本に天皇家が存在していたことについてはかなり幼い子供でも理解しているだろう。小生の年頃になると万世一系なんて言葉を聞いたりしているので、何となくそんなものかとも思っている。

しかし15世紀の事柄を書いたこの小説によると、鎌倉あるいはもっと前から続いた武家政治の時代における天皇家とそこを取り巻く権力者(当時は一族、即ち氏が現代の政党にあたりそうだ)の欲望をうまく記述しているように思えてくる。天皇家の存在意義は飽くまで国家統合統一の象徴であるので現代によく似ているのである。有体に言えば武家がうまく利用できるように軽い存在でもある。三種の神器なんて物もどこまで本物か分からないし、親族が増えれば、どの家が正統かも分かり難くなろう。

少し問題だろうが平易に言い換えれば、将来皇太子家の愛子内親王に男子が誕生したとして、皇太子なり天皇になっている秋篠宮家との関係はどうなる?内親王の子供は皇統とは呼ばないないならそれでもいいだろう。今まさにその辺でごたごたしている訳である。南北朝時代の始まりは似たような状況で、互い違いに天皇になればいいじゃないか、ということから始まっているとも解釈した。要するに今上天皇陛下が心配されているのは、昔も今も変わらず政権を与る者どもが教養を少なくして天皇家を軽んじていることに他ならない。今まさにその極みに達しているとすれば、世界戦争以前に半世紀を待たずして内戦が勃発しても不思議はない。

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