2016年2月24日水曜日

国会中継を見て

今年に入ってから時々ニュースが流れているアメリカの大統領選挙。日本もアメリカも基本的には民主国家と言うことになっている。彼の国の政治システムはよく知らないし、どちらシステムが優れていると言った問題ではないが、大統領の選び方が偉く丁寧だとは思うし、面白くも思う。日本の総理大臣はアメリカ大統領に匹敵する政治的リーダーである筈だが、選ばれ方がお手軽なのか、どうも存在感が薄い。

国家の政治的リーダーのリーダーシップが強すぎて、北朝鮮の金正恩とかナチのヒトラーのようになるのも困るが、安倍総理のように軽すぎるのも些か問題ではある。選挙権を得てから半世紀上も経つが、日本国憲法も理解せず、基本政策がここまで無茶苦茶な総理は初めてではなかろうか。調べてみると選挙権を得た1960年の総理は岸信介氏である。彼のことは60年安保で嫌なほど騒がれたので当然記憶にあるが、彼が当選した当時は未だ選挙権が無かったろう。

実際に選挙権が行使できたのは池田内閣あたりからだと思うが、今にして思えば貴重な選挙権を行使していたかどうか記憶が無い。当時は住民票を長野に置いたまま東京に来ていたようで、長野の議員名は記憶にあるが、東京の議員名は誰一人思い出せない。在学中は多分投票はしていなかったと思う。個人的なことはさて置き、池田勇人氏以降20年間の総理(佐藤栄作・田中角栄・三木武夫・福田赳夫・大平正芳)6氏とそれ以降35年間の総理(鈴木善幸氏から20人以上になりそう)の間には随分重みに差があると感じざるを得ない。

先に書いたように政治への関心がこの55年間で全く変わっているので、政治内容を云々することは出来ないのだが、総理の資質とか貫禄と言ったものが年々軽くなって、遂にここに極まった感じがしている。リーダーが軽いからだろう、閣僚の資質に至っては言うまでもない。そりゃ池田総理や佐藤総理の時代であっても、官僚のサポートで国会を乗り切ってきたのだろうとは思う。ある意味では、官僚が政治家の代わりに直接政府答弁をすることが出来たから、より強力なサポートであったかもしれぬ。

最近は官僚の政府答弁が認められないので、全て大臣が答弁せねばならないから仕方ないかもしれぬ。それにしても、基本の(き)迄一々後ろに控える官僚に教わらなければならない醜態を毎度見せつけられている。よくもこれで大臣が勤まるものと感心している場合ではない。官僚は優秀かもしれぬが、政治家の思想(哲学あるとも思えないが)に沿って、それらしい答弁を書いているのだ。池田総理が「貧乏人は麦を喰え」と言ったのは、経済政策が間違っていた訳ではない。まして現政府のように「強きを扶けて弱きを挫く」意図でなかったことは明らかである。

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