2016年2月20日土曜日

我がファンダメンタルズ

後期高齢者になると希望とか夢なんてことは殆ど無くなってきて当たり前だが、願わくば介護が必要な身となることだけは勘弁してもらいたい。しかし、人生あって欲しいことは実現せず、あって欲しくないことは往々にして起こりがちであるから、願わくばなんて考えない方が良いのかもしれぬ。しかしベランダから投げ落とされた老人のニュースを延々と聞かされていると、気が滅入ってくる。

年間8万7千円支払っている介護保険料が無駄になっても構わないから、給付される側になりたくないものだ。こんなセコイことを考えていて大昔のことを思い出した。大学を出てから丁度40年間サラリーマンだったが、この間支払った失業保険(雇用保険?)も考えてみれば完全な掛け捨てで、1円の給付も受けていない。社会保障制度の中で年金や健保の話はよく耳にするが、雇用保険の収支はどうなっているのだろう?

雇用保険については高齢化現象と関係ない気がするので、騎馬戦型から肩車型なんて騒ぐ必要もない筈だ。有効求人倍率が1以上で就労者も50万人も増えているとなれば、誰が運用しているか知らないが、出金は増えずに保険料は溜まる一方の可能性もある。所管は元労働省だから現在は悪名高き厚労省だ。昔から3流官庁の極みとされているが、そういうところに限って悪銭が溜まり官僚が悪さをする種を作りかねない。

年金のGPIFのように、総理や日銀さんに協力して資金市場で博奕もどきの運用に供するなら可愛げもあるが、数十兆までには届かない金額故政治家の目に止まらないで、官僚の好き勝手、やりたい放題にされているとすれば問題だ。話しが逸れたが、たまたま現役時代にこの3流官庁に出入りしていたことを思い出してしまった。

書き始めた時は、庶民感覚のファンダメンタルズとして、今後益々せこくなって、けちけち生活を徹底しようと書く心算でいた。小難しいことは分からなくても、財布のひもを締めるのは年金生活者としては当然のことだ。しかし、高級官僚や政治家の世界は、感覚がまるで違うように感じる今日この頃である。

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